〔猿が深山に婦人を幽閉〕【1882.3.12 読売】
陸前桃生郡雄勝浜村近辺の猟師が山奥で1人の婦人に遭遇。婦人は渡波町の宿屋の娘で、母娘2人山に迷い込んだところ、猿の大群に娘は食べられ、自分は幽閉されて7年が経ったという。
○数多<あまた>の年を経たる猿は人にも勝る業をなすと古き書にも見え、人口に膾炙する処なれど、眼<ま>の当りに見たるは珍らしとて此程、陸前〔宮城県・岩手県〕より態々<わざ/\>知らせ越したる話は同国桃生郡<ものふごほり>雄勝浜村<をかつはまむら>〔現・宮城県石巻市〕近辺の猟師三、四名が先月二十日、猪狩<しゝがり>にとて程遠からぬ山路へ踏入りしに、差<さし>たる獲物もなければ、「是は人里に余り近くて鳥獣の栖<す>み兼る故なるべし」と各<おの/\>山を越え、谷を渉<わた>りて奥深く分け入りけるに、遥か向ふの谷間に一人の婦<をんな>が彳<たゝず>み居るにぞ、訝<いぶか>りつゝ近よりて「御身は何しに此恐ろしき深山<みやま>の中に只一人居らるゝぞ」と問掛<とひかく>れば、婦人は潜然<さめ/\>と涕<なみだ>をこぼしながら語<つぐ>るやう、「妾<わらは>は牡鹿郡<をじかごほり>渡<わた>ノ波町<はまち>〔渡波町〕の旅人宿<りよじんやど>、内海惣治郎が娘しの(三十六年)と申す者にて候ふが、兼て娘のきはを同郡石の巻へ奉公に遣<つかは>し置きしを暫時<しばし>借受て連帰らんとする途中、或る松原へ来かゝると、一天、俄に掻曇り、篠突<しのつ>く雨と諸共に身も飛ぶかと疑ふ斗<ばか>りの大風、吹出し、親子は之<これ>に途を失ひ、兎やせん角やせんと猶予<たゆた>ふ中<うち>、現<うつゝ>ともなく夢ともなく終に此深山へ迷ひ入りしが、夜明けて四方<あたり>を看廻<みまは>せば、数<す>千の猿、妾が身の周囲<まはり>を護り、娘をば数多の猿共、集りて情なや、喰ひ殺しぬ。其<そ>を眼の当りに見る苦しさは我身を劈<さ>かるゝより千百倍も勝れども、如何にせん、此身は籠の鳥も同じく、只悲しや痛ましやと歎くの外<ほか>は泣く/\も涕にくれて見て居る内に娘が体は骨さへ余さず喰はれたるに益々驚き、逃げんとすれば、数多の猿、之を遮<さゝ>へ、逃るゝに道なく止<とゞま>りて猿と共に穴居し、仇し月日を送ること、爰<こゝ>に七ケ年なれども、猿の首長<かしら>といふは其長<たけ>五、六尺〔約152-182センチ〕もありて能<よ>く人事を解<げ>し、妾に人間の衣食を与ふること、終始一日も怠らず、今に此深山に住めど、病に罹りし事もなく、去りながら故郷の恋しさは何と譬ん物もなく、朝な夕なに故郷の天<そら>を望<なが>むるのみ。御身達、もし渡ノ波に行かるゝ事のありたらば、此一言<ひとこと>を我父母<ちゝはゝ>に伝へ呉れよ」と口説<くどき>しうへ、「此深山に住める猿は凡そ六、七百疋もありて首長は四、五疋なるが、迚<とて>も御身達三、四人にて打留<うちと>むべき猿にあらねば、毛を吹<ふい>て疵<きず>を求めんより疾<と>く/\立去り玉へかし」と猟師共に帰宅を促すの情、切なるにぞ、猟師共は憫然と思ひながらも、婦人を伴ひ帰りなば、災難に遇<あは>ん事の恐ろしとて其深切なる心を謝し、早々<さう/\>に谷間を出て各家に帰りし後<のち>、斯くと惣治郎に告げたるにぞ、同人は夢かと斗り驚くは理<ことわ>り。「七年前に娘も孫も行衛<ゆくゑ>しれずと成ツたまゝ今に便りも〔原文「便<たよ>もり」〕あらざれば、死んだ事と諦めて仏事さへ営みしが、扨<さて>は猿の仕業であツたか」と一度は驚き、一度は喜び、昨今は其娘を取返さんと頻りに工夫中であるといふ。