登川校幽霊問答(下)【1920.3.19 北海タイムス】
北海道夕張町の小学校では会議の結果、宿直室に現れる亡霊と問答をすることに。戸を叩く回数で問答した結果、供養を求める無縁仏だというので、僧侶を呼んで供養を行ったところ、幽霊は現れなくなった。古老の記憶では、学校の敷地はかつて工夫が殺され、死体を捨てられた場所だった。
亡霊が夜な夜な現れて宿直教員の脅かされた夕張町<ゆうばりちやう>〔現・北海道夕張市〕登川尋常高等小学校では二月二十八日の教員会議を開いた結果、其夜<よ>、三名の宿直
◇教員は 亡霊と問答を開始することゝなつた、夕張川の水は刻々として更行<ふけゆ>く冬の夜の調子を取つて、冷い風は咽<むせ>ぶが如き声して枯薄<かれすゝき>の上をわたる真夜中となつた頃、例の如く宿直室の戸を拳を以て叩<はた>くものがある、桑島訓導、佐藤代用教員、中村准訓導は胸を躍らせつゝも息を凝<こら>して耳を欹<そばだ>て、胆<きも>を据へて茲<こゝ>に問答に取蒐<とりかゝ>つた。『汝、狐狸妖怪なるや、若<もし>
◇亡霊な らば、五ツ戸を叩<う>つべし』と問へば、『五つ叩つた』。然<しか>らば『女ならば、六ツ打<うつ>べく、男なれば、七ツ打つべし』と問へば、直<たゞち>に『七ツ』叩つたので、更に進んで『其人数<にんず>だけを叩てよ』と問へば、『三ツ』打つ、怨みを呑<の>むものかと問へば、音なきに、重ねて『無縁仏のため供養を欲するものならば、五十叩<はた>くべし』と問へば、相違なく五十叩いたので、流石<さすが>の三教員も戦慄して心臓の鼓動が早鐘<はやがね>を鳴らすやう、呼吸は益<ますま>す烈しく迫つて来る、斯<か>くてはならじと、胆<たん>を据へて最後の問として『必ず名僧を迎へて供養せしむべきに付き、今後現れざるに於ては百打つべし』と云へば、一つだに誤らず一気呵成に百を打たので、
◇流石に 三教員も詮すべなく、其夜は満足に寝もやらずして、翌朝、松本校長に前記問答の顛末を逐一報告したのである、松本校長も之<これ>が判断に苦<くるし>み、夕張町<ゆうばりまち>三丁目、実相寺住職、柴田信龍師を訪問し、三月一日午後四時を期し、供養を頼む約束をして別れ、之を秘密に附して、二月二十九日の夜は中村主席訓導を初めとして十三名の男教員は宿直室不寝番研究に着手した、然るに其夜は戸を叩かなかつたが、夜色陰々と更けて一時頃、
◇凄愴の 気は漂ふたと思ふと、佐藤代用教員は背中に水を浴せらるゝ様な気持がすると謂<い>ふて、其許<そこ>にウタヽ寝をすると間もなく、『我等<われら>三人も明日の四時には成仏が出来るから、今晩からは出ない』と妄語<たわごと>を云ふたので、揺り起すと、佐藤教員は冷汗<ひやあせ>をビツシヨリ掻<か>いて何の夢も見なかつたと語つた、明日の四時を期して柴田住職に供養を頼んだことは松本校長は誰にも秘密にして居たのに、此奇異の現象を一同は目撃したのは全く理外の理たる不思議な事実であつた。三月一日午後四時、教員一同参列して柴田住職によりて供養は行はれたが、夫<それ>より十有余日を経過した今日、此幽霊は現れないが、
◇歴史を 辿れば、右学校敷地は往時、炭礦鉄道の敷設<ふせつ>の当事、殺伐の気漲<みなぎ>つて土工は三人惨殺されて死骸を捨てられた所であると古老の記憶に朧気<おぼろげ>に存して居るのみで、市街地続きで狐狸、河獺<かはをそ>の現れぬ場所なので、今猶<いまなほ>市街地の不思議話としてそれからそれへと喧伝されて的確な判断を下すものがない(以上は松本校長の談話と記者の調査せし真相である)。(完)