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2021年7月

くさつた大家さん若妻殺しの家取壊し【1936.3.31夕 読売】

東京・巣鴨で若妻が殺された家では被害者の幽霊が出るという噂が広まった。事件のあった家や他の借家も家賃を下げろとの声が出たので、家主は当の家を取り壊すことに。解体工事はたたりを恐れて引き受け手がないので、親戚に頼み込んだ。

くさつた大家さん若妻殺しの家取壊し
他の店子曰く『縁起が悪いゾ値下げしろ』…………
………坊さん曰く『月五円なら借りて上げませう』

巣鴨〔東京都豊島区〕の若妻殺し〔この年1月に銀行員の妻が絞殺された〕のあつた“呪ひの家”が卅日朝から取りこはしをはじめた、事件発生以来ご難つゞきだつた、毎日々々『見物人』の山近所では幽霊が出る、真昼間登志子〔上記殺人事件の被害者〕さんのすゝり泣きの声が洩れるのと噂が拡まりそのうへほかの借家の店<たな>子たちは“どうも同じ家主では縁起がわるくていけない、き賃を下げればよし、それでなかつたら立ちのきますぞ”とのつぴきならぬ家賃値下げの強談判まで起つて家主商売はアガツタリのかたちになつた

家主の田島喜太郎さんはどうにかガマンをしてゐたが、最近は某巡査が登志子さんの夢にウナされるとか数日前には坊さんが三人やつて来て『この家にはタヽリがある、月五円の家賃ならば住んであげるがどうぢや』と縁起でもない借家の申込にすつかりクサツてしまひ喜太郎さんはとうたう家のブチ壊しを決心したそこで取りこはしの人夫をさがしたが誰もタタリをこはがつて引受け手がない

とうとう遠縁にあたる滝野川区〔現・北区〕滝野川町一九五三榎本長三郎さんををがみ倒して卅日朝からガツチヤン/\が始まつた次第である【写真はその家】

読売新聞 昭和11(1936)年3月31日夕刊・2面

話の港〔首相官邸日本間の修築案〕【1933.8.24 読売】

五・一五事件で犬養毅首相が横死した首相官邸日本間は事件後1年余りたっても誰も使わない。堀切善次郎内閣書記官長は洋間を新築、その上の2階に日本間を乗せる案を出したが、国費をかける理由がないと大蔵省に拒絶された。

話の港 ■…故犬養〔毅(1855-1932)〕首相が殃死を遂げた首相官邸の日本間、一ヶ年余<よ>を経過した昨今でも誰も使ふ人がなく昼なほ暗く鬼気迫る

堀切翰長

■…堀切〔善次郎(1884-1979)〕書記官長、いろ/\頭を悩ました末『あれを空<あき>部屋にして置くのはどう考へてももつたいない、床をコルク張りにして洋間にし、現在の日本間を二階にしてそのまゝ乗せて見たらどうだ』吾れながら名案と、この修築方<かた>を早速大蔵省営繕管財局へ持込んだ

■…ところが大蔵省頑として応じない『そんな理屈にならんことで国費はかけられません』と剣もホロヽ〔原文「ホロ/\」〕、堀切さんつく/\嘆じて『俺が元ならこんな修理なぞ立ち所だが、アヽ昔が懐かしい』註に曰く堀切さんは元復興局長官を勤めた身、そこでつい昔が恋しくなるわけ――

読売新聞 昭和8(1933)年8月24日・7面

首相官邸修祓式【1932.6.12夕 読売】

五・一五事件で犬養毅首相が殺害された首相官邸は、後任の斎藤実首相も気にしてか居住せず、自宅から通勤している。そこで、事件から1か月を機に官邸で修祓式を行った。

首相官邸
修 祓 式
兇変から一月目

◇去る五月十五日夕故犬養〔毅(1855-1932)〕首相が兇手に従容としてれて以来、かれこれ一ヶ月になるがこの五・一五事件のため血ぬられた官邸を斎藤〔実(1858-1936)〕現首相は気にしてか未だに四谷仲町〔東京都新宿区〕の自宅から出勤してゐるほどそのため宏壮な首相官邸には現に住む主がないわけで暴漢闖入当時の蹂躙の跡はそのまゝとなつてゐる、そこで十一日午前九時同官邸内の修祓式を行ふことになり、西野〔宮西惟助(1873-1939)の誤り〕日枝神社宮司以下の神官四名は村瀬〔直養(1891-1968)〕内閣官房会計課長、新居〔善太郎(1896-1984)〕首相秘書官等参列の下<もと>に厳そかに執行

◇まづ故首相が最後の息を引とつた奥庭に面した日本間十五畳に祭壇を設け

祭祀後血に汚された廊下から故首相が最初の一弾を受けた食堂田中巡査が射たれた室、総理大臣室、書記官長室等大ホールの隅隅まで修祓し十時終了したが

同官邸詰めの守衛、小使までが『これでやつと清浄な気になりました』と喜んでゐた【写真は修祓式】

読売新聞 昭和7(1932)年6月12日夕刊・2面

きょうから解体工事【1957.7.17 読売】

心中事件の巻き添えで焼けた東京・谷中天王寺の五重塔の解体が始まる。地元では早くも「塔のそばにお化けが出る」との噂が絶えない。

きょうから解体工事
谷中の五重塔 “お化け”のうわさも

○…さる六日朝心中事件のまきぞえをくって焼失した谷中〔東京都台東区〕の天王寺五重塔はきょう十七日朝から解体が始められる。塔再建の見通しもつかず焼跡整理も費用の点ではかどらなかったがこのほど整理だけは文京区のM建設と二十七万円で話しあいがついた。同社では延べ百五十人の人夫で主としてノコギリなどで切り落しながら解体していくが、高さ三十五メートルという大きなものなので万一の事故を考えて、墓地の混雑するお盆の間は遠慮したもの。

○…比較的焼け残った一階付近の木材は“遺品”として塔の元の所有者天王寺にかえされ、同寺ではこれで毘沙門堂を建立する。また塔の跡は将来同墓地の納骨堂になる。

○…都谷中霊園管理事務所では焼け跡から銅板が三トンも出てとんだ遺産だと苦笑い。一方このヒカリものをネラう者が早速現れ谷中署に捕ったものもいる。ただ同事務所で頭を悩ませているのは使いものにならない焼けぼっくい。一応整理して塔のそばに置いてあるが最近はおフロ屋さんも燃料改革で引きとってくれず、またそのまま放っておいて浮浪者などのいたずらの材料にでもなっては困るというわけ。

○…また地元には早くも「塔のそばにオバケが出る」というウワサがしきり。墓地の中にある〔原文「中ある」〕お寺のお坊さんは「あんな死に方をすれば地獄だって受付けてくれないからきっと浮かばれないでしょう」と冷い意見。五重塔は焼けてとんだ夏の夜話まで生んでいる。

【写真は解体を待つ五重塔の残がい】



読売新聞 昭和32(1957)年7月17日・8面

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