「うなされ」の三七連隊にからまる因縁話【1926.7.25 大阪朝日】
兵士が毎夜うなされて騒ぎになっている歩兵第37連隊では、営庭の樹木が「化ける」とか、夢枕に立った厄除慈童のお告げどおり慈童の像が掘り出されたとかいう話がある。
第四師団歩兵第三十七連隊の各中隊のつはものどもが夏草ならぬ営舎に夢を結びかねて昨今、夜毎に奇怪な「うなり声」をたて、日増に加はる暑気と相まつて不安と悲鳴にとざされてゐることは昨夕刊既報の如くであるが、こんなことは同連隊ではこれで三度目で、その最初は大正六年の猛暑のころに起つて三個中隊の者が急に営舎を飛出したりした、特別な環境がつくつた「兵隊病」としてうなづけぬこともないが、調べて見ると、かうした「うなされ」の裏には夏の夜に相応<ふさは>しい怪談めいたものが絡<から>みついてゐる、元来、同隊四、五、六の三中隊の営舎は南西詰のいづれも階下で建物が古めかしく、高台ではあるが、妙にジメ/\として陰気臭く、この各舎が面した営庭には化銀杏<ばけいてう>と呼ばれる銀杏の樹が繁り合ひ、更に槐<ゑんじゆ>の樹が植わつてゐる、そして蝙蝠<かうもり>が巣をかけたりしてゐて地下からは古めかしい九輪が掘り出されたこともある。
槐の樹は古来から「化ける」といふ伝説があり、徳川時代の物語りには青白い小坊主が夜半、胸を圧するといふことがのつてゐる。支那〔中国〕でもこんな伝説は沢山のこつてゐる、これが迷信の一。
それから厄除<やくよけ>慈童がある夜、夢枕にたつての宣告を怪しみながら営庭を掘つたところ、果して同営庭の一隅から慈童の像が出たといふ話もあり、なほ今から十五、六年前、四中隊の中尉が自宅で切腹したこと、五中隊の一兵卒が実弾を窃<ぬす>み出して自殺したといふ。これは実際あつたことだが、こんなくさ/゛\の噂がパツとたつて過労に疲れてゐる兵卒の神経を刺激し、いはゆる兵隊病を醸<かも>しだしたのではなからうかといはれてゐる。
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