奇怪な『うなされ』で不安と悲鳴の三七連隊【1926.7.25夕 大阪朝日】
大阪の歩兵37連隊の営舎で消灯後、召集兵がうなされて連隊全体の騒ぎになることが何度も続いている。対策として営舎全体で終夜点灯したり不寝番を増やしたりした。
大阪第四師団歩兵三十七連隊に、去る五日から召集した召集兵約千名の間に、この五日程、奇妙な騒ぎが続いてゐる、といふのは前記千名は各中隊に分れ、四十個班ばかりになつてゐたが、最初の晩、ある班の数名がうなされて悲鳴をあげ、大騒ぎとなつたことあり、それから次々と殆ど全部の班に及び、消灯後の午後十一時ころから一時間おき位に交替のやうにうなされ、その度に神経の尖<とが>り来つた兵士達は『わあーつ/\』と営舎も轟くばかりの叫声<けうせい>をあげるもの、悲鳴をあげるもの、この時ならぬ大騒ぎが営舎外の民家にまで響いて不安を駆つたが、更に信太山〔和泉市〕に演習に行つてゐた現役兵が帰隊してこの怪事を聞き知り、気の小さい初年兵にうなされがうつり、二十二、三の両日のごときは連隊あげてこのうなされとそれにつゞく大騒ぎが繰返される始末となつた、この有様に高田同連隊長は『気の小さい者共だ!』とおこり出し、各中隊に厳命して右の騒ぎをしないやう注意し、普通なら午後九時に消灯するのを「暗くしたら、うなされる」といふので、営舎全体、徹夜点灯するやら、不寝番を増してうなされ者の看視につとめた、右について週番将校は語る。
敵を殺して戦地から帰つた兵士はうなされるといふ迷信的な話は聞いてゐるし、迷信でもなく、夕凪がひどく、むし暑い熊本連隊でもこのことがあつた、この連隊にも大正九年頃、この騒ぎがあつた、恰度〔ちょうど〕今召集してゐる兵は当時の兵であるところから見ると、昔を思ひ出してこんな精神状態にひき入れられたのではないだらうか、原因といふのは昼間の演習で疲れ切つてゐるところへ夜、むし暑くて眠られないためらしく、沢山の兵士が小さい部屋にぎつしり寝てゐるため、一種の兵隊病だらう、うなされた当人は夢を見てゐる調子で、決して故意や真似事ではないのだ。
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