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2020年8月

解放される魔の神域【1925.1.24 読売】

東京・武蔵新田の新田神社の裏にある新田義興の墳墓は垣根の中に立ち入った者が発狂したり自殺したりすると恐れられている。神主は迷信を払拭するため、墳墓の境域を開放することにした。

解放される
魔 の 神 域
『神霊矢口の渡』で知られた
—新田義興の墳墓

平賀源内〔(1728-80)〕「神霊矢口ノ渡〔神霊矢口渡〕」で知られる府下武蔵新田〔東京都大田区〕府社新田神社の裏にある新田義興〔(1331-58)〕の墳墓は足利時代のむかしから

新田の 荒れ山又は荒墳と云ひ伝へ一町〔約109メートル〕ばかりの周囲に垣根を囲らして神職といへども断じて出入<しゆつにふ>せず椿竹など雑木茂るに任せ一種神霊の気に打たれるやうな処とし何人かこの墳域内に入<い>ると病気或は発狂して死ぬといふので覗き見る者さへない位附近の人々には未だに恐れられてゐるがかゝる

伝説が 更でだに一種の先入思想となると見え最近茅場町〔中央区〕某株式店主人が郊外散歩に出でてこの墳域内に入り何等<なんら>の原因がないにも係はらずその儘自殺した事や近所へ引越して来た日雇取りの妻女が焚木を折りとつてその日から病気になり玉川砂利取人夫が竹一本持ち去つてその夜<よ>から発狂死亡したなどの

故意か 偶然か昔の伝説を力強めるやうな事件ばかり起きるので現神主は科学の進歩せる今<こん>そんな事があるべき筈がないといふので近くこの境域内を開放し古事を叙した碑を建てゝ何人も自由に出入させる事とし目下その準備を急いでゐる、これによつて足利時代以来の一種の恐怖境も明るくなる訳である。神主語る

『義興公の死体をあの沈められた舟と共に埋めたところで江戸のはじめにはその舟のみよし〔船首〕が出てゐた事があるといふ話です刀剣なども出てゐますがあの墳域のすぐ後が矢口の渡だつたのです。どうも私が来てからも所謂荒山の気に打たれたといふ変事を度々目撃します、先日自殺のあつた時入つた巡査などもどうも目まひがしてならなかつたなどゝ云ひます。神域ではありますが碑でも立てゝ何人も自由に参拝出来るやうにし出来るものなら当局に願つて一度発掘してみたいとも思つてゐるのですあの森へ入れば、目くらになつたり気狂になるといふ伝説は江戸時代からのものですが大正の今日かゝる一種の恐怖境をその儘としておくのはむしろ神意に悖るものと思ひ発掘の結果は何等か歴史上の有益な効果を得まいかと思はれます』

同所の頓兵衛地蔵などは怪しいが蒲田の女塚と共に戯曲的な一種の古趾として面白い物語りを持つ場所にも追々文明の風が吹いて行く

(写真は新田義興の墳墓) 

読売新聞 大正14(1925)年1月24日・3面

夢枕に起つ遊女の亡霊【1917.11.15 読売】

東京・洲崎の遊郭で職人の男が硫酸を飲んで自殺を図った。男は8年前に遊女を殺して実刑を受けたが、恩赦により出獄。再び遊郭に通い出したところ、殺した遊女の亡霊が毎晩夢枕に立ち、精神に異状を呈していた。

●夢枕に起<た>つ遊女の亡霊
◇娼妓殺し悶絶し劇薬を仰ぐ

十四日午後一時頃洲崎弁天町〔東京都江東区〕一の一〇貸座敷第一喜多川楼の娼妓小よし(二二)の四畳半の居間にて、去<さる>十二日より流連<ゐつゞけ>中の馴染<なじみ>客なる本所区〔現・墨田区〕松井町三の一〇張物業関口松次郎方職人松本寅治(二八)が

△職業用硫酸を 服用し苦悶し居<ゐ>るを小よしが発見し声を立てんとするや、同人を突退<つきの>けて戸外へ飛出せし処へ洲崎署の刑事が通り合せ抱き止め本署へ連行き手当を加ヘ一命を取止めたるが、同人は八年前<ぜん>同遊廓千代本楼(今は無し)の娼妓松ヶ枝事梅村春野(二〇)に馴染を重ね、不義理の借財が嵩<かさ>みて

△春野に情死を 勧めしも刎<はね>付けられしより、立腹して硫酸を頭上より浴せ尚出刃庖丁にて斬り付け即死せしめし廉<かど>により七年の処刑を受けしが、恩典により出獄後前記関口方に住込み実直に勤め居<を>りしが、何時か小よし及び同廓明治楼の娼妓一本<ひともと>二二)に迷ひまたも負債を重ねし上、去月頃より

△松ケ枝の亡霊 毎夜<まいよ>の如く夢枕に立ち碌々安眠も出来ぬ処より多少精神に異状を呈し<くだん>の所業に及びしものなりと

読売新聞 大正6(1917)年11月15日・5面

「うなされ」の三七連隊にからまる因縁話【1926.7.25 大阪朝日】

兵士が毎夜うなされて騒ぎになっている歩兵第37連隊では、営庭の樹木が「化ける」とか、夢枕に立った厄除慈童のお告げどおり慈童の像が掘り出されたとかいう話がある。

「うなされ」の三七連隊に
からまる因縁話
怪談のやうな化銀杏や
掘りだされた厄除慈童

第四師団歩兵第三十七連隊の各中隊のつはものどもが夏草ならぬ営舎に夢を結びかねて昨今夜毎に奇怪な「うなり声」をたて日増に加はる暑気と相まつて不安と悲鳴にとざされてゐることは昨夕刊既報の如くであるが、こんなことは同連隊ではこれで三度目で、その最初は大正六年の猛暑のころに起つて三個中隊の者が急に営舎を飛出したりした、特別な環境がつくつた「兵隊病」としてうなづけぬこともないが、調べて見るとかうした「うなされ」の裏には夏の夜に相応<ふさは>しい怪談めいたものが絡<から>みついてゐる、元来同隊四、五、六の三中隊の営舎は南西詰のいづれも階下で建物が古めかしく、高台ではあるが妙にジメ/\として陰気臭くこの各舎が面した営庭には化銀杏<ばけいてう>と呼ばれる銀杏の樹が繁り合ひ更に槐<ゑんじゆ>の樹が植わつてゐる、そして蝙蝠<かうもり>が巣をかけたりしてゐて地下からは古めかしい九輪が掘り出されたこともある

槐の樹は古来から「化ける」といふ伝説があり徳川時代の物語りには青白い小坊主が夜半胸を圧するといふことがのつてゐる支那〔中国〕でもこんな伝説は沢山のこつてゐる、これが迷信の一

それから厄除<やくよけ>慈童がある夜夢枕にたつての宣告を怪しみながら営庭を掘つたところ果して同営庭の一隅から慈童の像が出たといふ話もあり、なほ今から十五六年前四中隊の中尉が自宅で切腹したこと五中隊の一兵卒が実弾を窃<ぬす>み出して自殺したといふこれは実際あつたことだがこんなくさ/゛\の噂がパツとたつて過労に疲れてゐる兵卒の神経を刺激し、いはゆる兵隊病を醸<かも>しだしたのではなからうかといはれてゐる

大阪朝日新聞 大正15(1926)年7月25日・9面

奇怪な『うなされ』で不安と悲鳴の三七連隊【1926.7.25夕 大阪朝日】

大阪の歩兵37連隊の営舎で消灯後、召集兵がうなされて連隊全体の騒ぎになることが何度も続いている。対策として営舎全体で終夜点灯したり不寝番を増やしたりした。

奇怪な『うなされ』で
不安悲鳴三七連隊
召集兵から現役兵まで伝播して
気味の悪い消灯後の各営舎

大阪第四師団歩兵三十七連隊に、去る五日から召集した召集兵約千名の間に、この五日程奇妙な騒ぎが続いてゐる、といふのは前記千名は各中隊に分れ四十個班ばかりになつてゐたが、最初の晩ある班の数名がうなされて悲鳴をあげ大騒ぎとなつたことあり、それから次々と殆ど全部の班に及び、消灯後の午後十一時ころから一時間おき位に交替のやうにうなされ、その度に神経の尖<とが>り来つた兵士達は『わあーつ/\』と営舎も轟くばかりの叫声<けうせい>をあげるもの、悲鳴をあげるもの、この時ならぬ大騒ぎが営舎外の民家にまで響いて不安を駆つたが、更に信太山〔和泉市〕に演習に行つてゐた現役兵が帰隊してこの怪事を聞き知り、気の小さい初年兵にうなされがうつり、二十二、三の両日のごときは連隊あげてこのうなされとそれにつゞく大騒ぎが繰返される始末となつた、この有様に高田同連隊長は『気の小さい者共だ!』とおこり出し各中隊に厳命して右の騒ぎをしないやう注意し、普通なら午後九時に消灯するのを暗くしたらうなされるといふので営舎全体徹夜点灯するやら、不寝番を増してうなされ者の看視につとめた、右について週番将校は語る

敵を殺して戦地から帰つた兵士はうなされるといふ迷信的な話は聞いてゐるし、迷信でもなく夕凪がひどくむし暑い熊本連隊でもこのことがあつた、この連隊にも大正九年頃この騒ぎがあつた、恰度〔ちょうど〕今召集してゐる兵は当時の兵であるところから見ると、昔を思ひ出してこんな精神状態にひき入れられたのではないだらうか、原因といふのは昼間の演習で疲れ切つてゐるところへ夜むし暑くて眠られないためらしく、沢山の兵士が小さい部屋にぎつしり寝てゐるため一種の兵隊病だらう、うなされた当人は夢を見てゐる調子で決して故意や真似事ではないのだ

大阪朝日新聞 大正15(1926)年7月25日夕刊・2面

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