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2019年9月

美人の生埋【1893.7.30 読売】

アメリカに新妻を亡くした男がいた。ある夜、男の夢に亡妻が現れ、夫の友人に生きたまま埋葬されたと告げた。翌朝、妻の墓をあばくと、棺を中から必死に開けようとした形跡があり、生き埋めにされたことは明らかだった。

●美人の生埋  今は昔にもあらずつひ此頃の事にて亜米利加<あめりか>にチヤーレスバウワー〔Charles Boger〕となん呼べる若き男住みけりこの男ひとゝせ前に日頃恋ひしたひける艶女<たをやめ>と浅からぬ契<ちぎり>を結びやう/\父母<ちゝはゝ>に請ふて晴の夫婦となり、「死なば諸共と誓ひしことも仇<あだ>となりまだ九ケ月も経つや経たぬ中<うち>妻は可愛<いとをし>の夫を残してあらぬ世の旅人となりければ夫の歎きやる方なく花鳥の音色も面白からず仇に月日を過しけるが夢現<ゆめうつゝ>にも亡妻<なきつま>の面影身に添ひて日夜心を悩ます余り果ては気狂ひ心乱れて浅間<あさま>しき振舞をぞしける或る夜<よ>のこと枕辺に悲しげなる女の声するに不図<ふと>目を醒<さま>せば亡妻の姿悄然と打しほれ物言はまほしき風情を怪しみて其の意を問へば、「御身の友達は情なき人々かな<わ>れ此世には何<いか>なる罪業ありてかまだ生<しやう>あるもの<あはれ>とも思はず闇路の人となしけるよこれを知り給ぬは返す/゛\も怨めしき御身の心かなとて打歎く夫は呆れて<そ>はいかなる故ぞと問ふまもあらず亡霊の姿は消えて夢は醒めけり〔/〕

男はつく/゛\と我が妻の亡くなりて友達の手に葬られける次第を思へば今のはよしや夢なりとも正しく神の告ならんと一心に思ひ込み夜の明くるを待<まち>もあへず飛起きて人々を集<つど>其の由をかたりて亡妻の墓を掘<あば>きければ<ひつぎ>の中<なか>なる鏡は粉微塵に打砕かれ蓋も片々<ばら/\>となり足は多く筋々を砕きて手はおどろに振乱せる髪をしつかと攫<つか>み居たる様浅間しといふも愚かなり、男はみてこれぞ確かに生きながら埋められける証拠なり昨夜<ゆふべ>の夢は夢ならず神の御告<みつげ>の有りしこそ嬉しけれと涙片手に妻の亡骸<なきがら>を改葬して香花<かうはな>を手向<たむ>、「心安かれ我が妻アーメン/\と礼拝して家に帰りければこの男其の日より心も清々<すが/\>と気も安らかになりけるとかいと怪しくもまた無惨なる話なり

読売新聞 明治26(1893)年7月30日・3面

 

『八幡の藪知らず』に入りたちまち気違ひとなる!【1930.9.20 読売】

神戸から来た男が千葉県八幡町の「八幡の藪知らず」に入り、竹を切って出て来ると、大声で訳の分からないことを叫んで暴れ出した。

『八幡の藪知らず』に入り
たちまち気違ひとなる!
昭和の世にテモ奇怪なグロ物語

【船橋電話】 水戸黄門記で馴染の深い例の千葉県八幡町〔現・市川市〕の竹藪『八幡の藪しらず』入<いり>込んで忽ち気違ひになつて仕舞つたと云ふグロテスクな物語――

▽……

主人公は神戸市菅原通り二ノ一四浅野銀二(四五)と云ふ男、十九日午後五時ごろ突然藪前の茶店に現れて『入らずの藪だなんてソンナ馬鹿/\しい事があるものか、俺が入<はい>つて見せてやる』と折柄<をりから>付近町民が『祟りが恐ろしいから止<や>めよ』と止<とゞ>めるのも聞かず、手斧を片手に七五三〔しめ〕縄を切って入<い>り込み十四五本の竹を斬って間もなく出て来たと思ひきや、急に頓狂な声を張り上げて『ヤイ誰だ、入らずの藪なんかへ入<はい>り込む奴は』と付近の田中勝次方へ駈け込み大声で訳のわからない事を呶鳴りながら暴れ出すと云ふ有様

読売新聞 昭和5(1930)年9月20日・7面

歩兵一連隊の稲荷祭り【1934.4.21夕 読売】

東京・赤坂歩兵第1連隊の営庭にある池は乾かすと神罰があるとされる。昨年に水を抜いて掃除すると、富士裾野で演習中の隊員が日射病に罹患。連隊では神意を鎮めるため、営庭内の稲荷神社の祭りを盛大に行った。


歩兵一連隊の
稲荷祭り
お赤飯に兵隊さん大喜び

□=そのむかし毛利公の屋敷であつた当時からいろ/\の伝説を秘めて赤坂歩兵第一連隊の営庭にある稲荷さまと厳島神社のお祭りを桜ざかりの廿日、兵隊さんの相撲や『さくら音頭』の余興つきで賑々しくやつた

□=このお宮の池は『神の水』と呼ばれて水を汲んだり渇かしたりすると必ず神罰があたる、昨年夏は池を乾して掃除をしたところがたちまち富士裾野の日射病騒ぎ〔1933年7月裾野で演習中の第一連隊で日射病が発生、8名の死者が出た〕を惹き起した、それ神罰だとばかり恐れをなした連隊では早速鯉をはなして神意を鎮めたといふ歴史つき―

□=で、今年は特に武運長久を祈つて盛大にやらうといふところから兵隊さんは調練を休んでお赤飯に頭<かしら>つきの御馳走、営門は午後一時から四時まで開けツ放し、市民にも景気よくお賽銭を投げてもらつたが兵隊さんたち、ちよつとお宮を拝んでは桜を仰いで『毎日お祭りをやつてもらひてえ』【写真はお祭り】

読売新聞 昭和9(1934)年4月21日夕刊・2面

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