供養しても、仕事の進まぬ『魔の工事場』【1925.6.25 読売】
東京・内幸町の下水工事現場で作業員3人が崩れた土砂の下敷きになって死亡。以来「魔の工事場」と作業員が恐れ、工事が進まないので、業者が供養塔を立てた。現場は底なし沼だったといわれる場所で工事中に骸骨が発見されている。
虎の門〔虎ノ門(東京都港区)〕から土橋<どばし>間、雨水吐き下水工事は最も難工事とされ、去る三月七日には内幸町<うちさいはひちやう>〔千代田区〕三番地先で鮮人〔朝鮮人〕土工、朴鶴伊(三六)、金大振(二九)、除万祚(四三)の
三名は くづれ落ちた砂の下敷となつて惨死を遂げた。此の工事は昨年九月に始め、今年の三月十日にスツカリ出来上る予定で大丸組で作業して来たものであるが、溜池から流れ込む水は吸み〔汲(く)み〕上げても/\一ぱい、如何しても工事が進まぬ、市の下水課では当時、竣工期限を三月十日と届出でたが、その後、小刻みに工事を延ばして居るので、日比谷署と三田署では
取締上 警視庁交通課の指揮で交通主任が毎日出張して見廻つて急がせてるが、思う様に運ばないので、ご幣をかつぎ出したのは大丸組の磯谷支配人で、惨死鮮人が祟つてるのではあるまいかと其の供養塔を立てることになり、去る廿一日、麻布六本木〔港区〕の乗泉寺の住職、田中清鑑〔清歓、日歓(1869-1944)〕師を招んでお経を上げて貰つたが、早めに見て
七月末 まではかゝる見込みで、之<これ>が為<ため>に約二十余万円の予算超過だと云うが、調べて見ると、遅れた原因は水のせいもあるが、も一つはみんな死人のたゝリを恐れ、ビク/\もので仕事をして居ることで、人夫等<にんふら>はこゝを『魔の工事場』と云つて恐れをなして居る。
現場監督の大丸組配下、奈良亘皓君の曰く――

『鮮人の死する前迄は順調に進み、丁度鉄筋を組む許りになつて居たのをやられたのです、あの事件があつて以来、殆んど一ケ月位は人夫等も仕事が手につかず、今でもオド/\して居る始末なので、供養塔を建てました、こゝはもと沼で、附近には松の木立が繁つて首縊りがしば/\あつたそうで、又其沼に落ちたら、決して助からぬ底なしだと伝えられて居たと云う事です、私達は別段、御幣をかつぐ訳でもありませんが、工事を始めてから最近まで骸骨が二つ発見されました、兎に角ここは縁喜〔縁起〕の悪るい土地であつたらしいのです』
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