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道玄坂の『人殺しの松』【1930.11.6夕 東京朝日】

大正末、東京・渋谷道玄坂下の松の木の枝を地主が伐ると、家族数名が病死、「人殺しの松」と恐れられようになった。今回、区画整理のため、木を伐採ないし移転する案が出たが、周辺住民が反対。東京府が住民に下付したところ、松の木は「出世の松」に改名され、参詣人で大盛況になった。

道玄坂の『人殺しの松』
おゝ怖や!触れると熱が出る

昭和の聖代にこれは又一つの変つた迷信話――場所は渋谷道玄坂の目抜きの大通りと拡張された宇田川通りとの分点の真ン中にヌツと立つ囲り四尺〔約1.2メートル〕たらず高さ三十余尺〔9-10メートル程度〕のたゞ一本の松の木がそれである

この松が何時頃からあるのかハツキリわからないが古い事は古く、昔は物見の松といつて、兇刃に倒れた不遇な死者をその根本に埋めたのださうだが、これも確かでない

確なことゝいへば、大正十五年頃、永田某といふ土地の地主が二十余軒の借家<しやくか>を新設するのに邪魔だとあつて、一枝バラリと切り落したところ、その夜<よ>から熱病にうなされ間もなく一家数名バタ/\死んでしまつたさうだ

『ナーニ迷信だよ偶然のことさそんな馬鹿げた因果があらうはずはないさ』

と馬鹿にしてかゝつた連中が、木に登つたり小便をしかけたりするとそれが皆てき面に熱をだしたりするといふ訳で町民は『人殺しの松』だの『竜神の松』と名づけて近寄らないやうにした

ところが今度区画整理で今まで家の裏にあつたこの松が道の真中にはみ出てしまつたので、どうでも切りとるか移転しなければならない、しかし府としても町民から無気味にも恐ろしい数々の事実を挙げてどうか切りとらないでくれと歎願されてみるとふりあげた手をおろされぬ始末

しかもこの間<かん>更にとび頭<かしら>が病む小便居士が転がる、木登りが腰をぬかす、付近の大和田小学校では先生が児童を集めて『決してあの木に近づいてはいけません』と訓話するといふ始末

結局府でも処置に困り十一月二日付で町民に下付してしまつたがこの日をもつて『人殺しの松』は一躍『出世の松』と名も改められ、木の根には立札が立つ、三宝には秋の実りがそなへられて善男善女が参詣するといふ大盛況に早変り

東京朝日新聞 昭和5(1930)年11月6日夕刊・2面

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