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2019年3月

夢によつて危難を免かる【1895.10.24 読売】

霧島山に旅行した鹿児島の呉服商が夢で亡父に似た老人から速やかな帰宅を勧められた。翌朝、呉服商が帰途に就いた後、霧島山が噴火。呉服商は父が危険から守ってくれたと感激した。

●夢によつて危難を免かる

<さる>十六日日向〔宮崎県〕なる霧島山噴火の際登山者の一人<いちにん>にて鹿児島市中町呉服店の主人藤安仲之助といふが霊夢の為危難を免かれたる話を聞くに同人は兼て霧島神社〔霧島神宮〕の参詣旁々<かた/゛\>保養の為此の程より霧島嶽の温泉場に逗留中去る十五日の夜<よ>は昼の入浴<ゆあみ>の疲れを催ほし何時<いつ>ともなく寝床<ふしど>に就きしに夜半と覚しき〔思しき〕我が亡親<なきおや>の面影に似たる白髪の老翁忽然として仲之助の枕辺近く立ち顕はれ、「霧島滞留は身に取て宜しからざることあれば早々<さう/\>郷里に帰るべしと勧めて止まず〔/〕

夢醒めて仲之助は別に心にも止<とゞめ>翌十六日の朝も例に依て其処<そこ>らの温泉に入浴<にふよく>を試み居る際<な>んとなく心地悪しく其上手足まで麻痺するが如く覚えしは此の湯の身体に相応せざるに因るか兎に角不思議の事もあればあるものと心に思案の折こそあれ端なく昨夜の夢に動<うごか>されて益々不思議に堪へず、「僅か夢の為<た>めに進退を決するとにはあらざるも最早<もはや>神詣での事も済み居ればイザ是<こ>れより帰麑<きげい>せん〔鹿児島に帰ろう〕と早々に旅の用意を整へて温泉場を立退きしは早や十六日の午前八九時頃なりしが<それ>より予定の道程<みちのり>を経て正午過ぎ西国分村〔現・鹿児島県霧島市〕浜の市〔浜之市〕に帰着せしや忽ち轟然たる響は天地を動かして行<ゆく>人も為めに歩<ほ>を止めん計<ばか>地震か但しは山の鳴動かと立ち騒ぐ間<ま>もあらせず不図<ふと>東の方<かた>霧島嶽を望めば団々たる黒煙は天を衝<つ>蒸々として立ち上<のぼ>る凄じき有様を見て仲之助は深く前夜の奇夢に感じ、「今の今まで霧島山に在りし此の身が今は安<や>す/\と此地に在るとは夢とは云へ全く亡親の加護に因りたるものにて此の危難を免かれたるも亦<ま>た全く此力に因れりとて痛く心に打ち慶びつゝ間もなく住宅に帰着して見れば家内にても大に同人の身の上を案じ態々<わざ/\>人を差立てたる跡にて其の帰宅を見るや家人は一方<ひとかた>ならず其の無事を祝賀したりと云ふ不思議な事もあるもの哉<かな>

読売新聞 明治28(1895)年10月24日・3面

登川校幽霊問答(下)【1920.3.19 北海タイムス】

北海道夕張町の小学校では会議の結果、宿直室に現れる亡霊と問答をすることに。戸を叩く回数で問答した結果、供養を求める無縁仏だというので、僧侶を呼んで供養を行ったところ、幽霊は現れなくなった。古老の記憶では、学校の敷地はかつて工夫が殺され、死体を捨てられた場所だった。

不可思議極まる
登川<のぼりかは>校幽霊問答
亡霊宿直の教員を脅<おびや>かす
科学の力では解けぬ謎
(下)  深夜訪<と>ひ来る者は誰<た>

亡霊が夜な夜な現れて宿直教員の脅かされた夕張町<ゆうばりちやう>〔現・北海道夕張市〕登川尋常高等小学校では二月二十八日の教員会議を開いた結果其夜<よ>三名の宿直

◇教員は 亡霊と問答を開始することゝなつた、夕張川の水は刻々として更行<ふけゆ>く冬の夜の調子を取つて、冷い風は咽<むせ>ぶが如き声して枯薄<かれすゝき>の上をわたる真夜中となつた頃、例の如く宿直室の戸を拳を以て叩<はた>くものがある、桑島訓導、佐藤代用教員、中村准訓導は胸を躍らせつゝも息を凝<こら>して耳を欹<そばだ><きも>を据へて茲<こゝ>に問答に取蒐<とりかゝ>つた『汝狐狸妖怪なるや、若<もし>

◇亡霊な らば五ツ戸を叩<う>つべし』と問へば『五つ叩つた』<しか>らば『女ならば六ツ打<うつ>べく、男なれば七ツ打つべし』と問へば、直<たゞち>に『七ツ』叩つたので、更に進んで『其人数<にんず>だけを叩てよ』と問へば『三ツ』打つ、怨みを呑<の>むものかと問へば音なきに、重ねて『無縁仏のため供養を欲するものならば五十叩<はた>くべし』と問へば、相違なく五十叩いたので流石<さすが>の三教員も戦慄して心臓の鼓動が早鐘<はやがね>を鳴らすやう、呼吸は益<ますま>す烈しく迫つて来る、斯<か>くてはならじと、胆<たん>を据へて最後の問として『必ず名僧を迎へて供養せしむべきに付き、今後現れざるに於ては百打つべし』と云へば一つだに誤らず一気呵成に百を打たので

◇流石に 三教員も詮すべなく其夜は満足に寝もやらずして、翌朝松本校長に前記問答の顛末を逐一報告したのである、松本校長も之<これ>が判断に苦<くるし>夕張町<ゆうばりまち>三丁目実相寺住職柴田信龍師を訪問し三月一日午後四時を期し供養を頼む約束をして別れ之を秘密に附して、二月二十九日の夜は中村主席訓導を初めとして十三名の男教員は宿直室不寝番研究に着手した、然るに其夜は戸を叩かなかつたが夜色陰々と更けて一時頃

◇凄愴の 気は漂ふたと思ふと佐藤代用教員は背中に水を浴せらるゝ様な気持がすると謂<い>ふて、其許<そこ>にウタヽ寝をすると間もなく『我等<われら>三人も明日の四時には成仏が出来るから今晩からは出ない』と妄語<たわごと>を云ふたので、揺り起すと佐藤教員は冷汗<ひやあせ>をビツシヨリ掻<か>いて何の夢も見なかつたと語つた、明日の四時を期して柴田住職に供養を頼んだことは松本校長は誰にも秘密にして居たのに此奇異の現象を一同は目撃したのは全く理外の理たる不思議な事実であつた三月一日午後四時教員一同参列して柴田住職によりて供養は行はれたが<それ>より十有余日を経過した今日此幽霊は現れないが

◇歴史を 辿れば右学校敷地は往時炭礦鉄道の敷設<ふせつ>の当事殺伐の気漲<みなぎ>つて土工は三人惨殺されて死骸を捨てられた所であると古老の記憶に朧気<おぼろげ>に存して居るのみで、市街地続きで狐狸河獺<かはをそ>の現れぬ場所なので、今猶<いまなほ>市街地の不思議話としてそれからそれへと喧伝されて的確な判断を下すものがない(以上は松本校長の談話と記者の調査せし真相である)(完)

北海タイムス 大正9(1920)年3月19日・4面

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