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〔狸穴で車上から消えた女〕【1879.4.25 東京曙】

東京・麻布に住む人力車夫のもとに夜遅く若い女が来て狸穴に急いで行くよう頼んだ。車夫が狸穴まで走って車を停めると、女はいつの間にか消えていた。

○狸穴<まみあな>といふ名を聞ても狸の巣窟かと思ふ物凄い所なるに三日前の雨の夜に麻布飯倉町〔東京都港区〕三十番地の車夫亥之吉が門を叩くは女の声にて狸穴まで大急ぎで〔原文「て」〕行てくれろと頼めども雨は降る夜は更る。「モフ今晩は寝ましたから出られませんと断りしを、「車代のところは幾らでも御望み通り高いのは少しも厭はず上るから如何<どう>ぞ行て呉よといふに慾には賢き亥之吉が高くてもよいならばと忽地〔たちまち〕に刎〔跳ね〕起て雨戸を開きて見れば十七八の別品なれば、「〔これ〕は必定色情にて男の跡を追かけて行とでもいふ訳ならんと車を仕立て一散走りに物凄き木々は茂りて昼さへ暗き狸穴の坂の下まで行たるに乗たる女は車の上にてモウ此辺でよろしいといふゆゑに車を停め掛たる桐油〔油紙製の雨合羽〕を解て見れば<こ>はいかに女はいつしか下りしと見えて行衛の知れねば<びつく>り仰天腰をぬかし、暫く立も上がらざりしが、「狐か狸のわざならんと漸くに心づき恐る/\〔原文「ゝゝ」〕車を曳て帰らんとすれば不思議やな一ツ所をぐる/\〔原文「ゝゝ」〕と往つ戻りつ曳のみにして来りし道へ帰られねばいよ/\驚きさまよふうち東の空も明くなり鴉の啼にやう/\と我家へ戻る道も解り帰宅はしたれど其翌日は気ぬけのやうに茫然として家業にさへも出られぬは全く物に魅せられしか又は寝ぼけて惑ひしか怪しい事だが虚説ではなし

東京曙新聞 明治12(1879)年4月25日・2面

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