踏めば音するお勝山【1908.7.5 東京日日】
西濃赤坂にお勝山という丘がある。関ケ原の戦いで亡くなった将兵を埋葬し、その甲冑が地中にあるので、この山を踏むと、地下から太鼓を打つような音がするという。
●踏めば音するお勝山
大理石産地として無尽蔵の宝庫なりと伝へられたる西濃赤坂山(一名金生山)裏手に一小丘あり。松杉欝蒼として山点より四顧すれば、南方に杭瀬川を隔てゝ大垣城と相対し、風光絶佳なれば、四季共に杖を曳<ひ>く者多し。此の山は慶長五〔1600〕年九月十四日、徳川家康〔(1543-1616)〕西上して赤坂に入り、同山に陣地を布きたる旧趾にて家康の戦捷に因み、お勝山(本名勝山)と俗称し、頂上は南北凡そ六十間〔約109メートル〕、東西約卅間〔約55メートル〕にて今猶幾分陣趾の形を存せる由にてその昔<かみ>の役に敵味方の死屍累々たりしを戦捷後、家康令して悉く之れを同所に埋葬せしめたるより、戦歿将士の甲冑等、地中に夥しき為め、此の山を踏めば、遥かの地下にて太鼓を打つが如き音を発すと伝へられたるが、其の原因は他に何等かの理由あらんも一足毎に一種の音響を発するは事実なりと。因<ちなみ>に同山中には旧大垣藩士、小原鉄心〔(1817-72)〕の碑及び江馬細香〔(1787-1861)〕の埋筆塚等ありと云ふ。
東京日日新聞 明治41(1908)年7月5日(日)7面
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