島の迷信【1902.1.7 読売】
伊豆諸島で旧暦1月25日は海難亡士という厄日とされる。200余年前の1月25日、島民が代官を謀殺。それから毎年その日の夜に代官一行の亡魂が島を徘徊するとして、家に籠り、消灯して静かに過ごす。
田舎にては今尚昔よりの習慣を逐ふて随分馬鹿々々しき事の行はれ居るものなるが、伊豆の大島、新島、神集島<かうづじま>〔神津島〕などにては、旧暦の正月廿五日に海難亡士と云へる事を行ふといふ、〔/〕
其の起因<おこり>は昔<むか>し年々、幕府の代官が年貢取収めの為<た>め伊豆諸島へ来りしに、今より二百余年前、代官に残忍の者ありて、一方<かた>ならず島人<たうじん>を虐げたれば、島人はこれを蛇蝎の如く恐れ、「何卒<なにとぞ>この代官を除きて苦痛を免れんもの」と、一同、申合せ居たるに、其の代官は斯<か>くとも知らず、例の如く島地の検分に来り、先づ大島を廻り、正月二十五日、泉津村〔現・東京都大島町〕より新島へ渡らんとせしが、漁師等<ら>は予め代官の乗る舟の底へ穴を穿ち置きて其の舟を海中に沈め、代官一行の主従<しうじう>五人を海底の藻屑と為したる事あり、〔/〕
これより後、毎年正月廿五日には島中<たうちう>に種々の凶変あり、夜<よ>に至れば、代官主従の魂魄島中を徘徊し、若しこの亡魂に遇ふ時は疫病<やくびやう>に罹ると称して島人は日没後、決して外出せず、日の暮るゝと共に固く戸締を為し、戸の隙間にはサクナギと称する木の枝を挟み、火を消し、一切の灯火を滅<け>して喫煙せず、談笑せず、只管<ひたすら>謹慎して夜を明し、この日を海難亡士と呼びて年中の大厄日となし居る次第なるが、近年、島中には裁判所、学校等<とう>の設けられてより、島民の智識漸次に進みて、此習慣を打ち破らんとする者、次第に殖<ふ>へ、神集島の如きは稍<やゝ>智識のある人々が尽力して漁師等<ら>を説き伏せ、漸く一昨年<さくねん>より海難亡士の事を止<や>めたり、然<しか>るに偶然にもこの年、島中に火事ありて人家の過半灰燼となりしかば、迷信深き島民等はこれ即ち海難亡士の祟なりとて、又々翌年、即ち昨年より之<これ>を再興したりといふ、〔/〕
尚大島の漁師、七兵衛といふ者の家に、此海難亡士の像を祀り在る由にて、海難亡士といふは代官主従五名に擬したるもの、五体あり、共に上下<かみしも>を着し、頭に大<だい>なる釜を冠<かぶ>りし奇形の木像なるが、何故に釜を冠せあるものなるやは、島人も記憶する者なしと。