〔知らぬ間に東寺五重塔に登った男〕【1884.7.27 朝日】
京都・東寺の五重塔の最上階に男が座っているのを巡査が発見。扉の錠は閉まっており、どうやって侵入したか分からず、男に尋ねたところ、三重県三重郡小古曽村の自宅にいると突然、一人の僧が現れ、誘われるまま夢心地になり、目覚めたら、塔の上にいたという。
○近来<ちかごろ>怪しくも亦疑<うたがは>しき咄<はなし>といふは去<いぬ>る廿三日の午后〔午後〕三時頃、京都東寺の寺内にある五層<ぢう>の宝塔<たふ>の一番上に一人の男が西に向ひて坐を占居<しめを>るを偶々<たま/\>通掛りたる巡廻の査公〔巡査〕が認め、少<すこし>く不審に思はれしか、早速、同寺務所へ赴き、平生<へいぜい>塔の上に登るを免<ゆるし>あるや否<いなや>を問れしに、「決して免<ゆる>しあらず」との答なれば、査公は弥々<いよ/\>之<これ>を怪<あやし>むの余り、右の訳を語り、直<す>ぐ三人の役僧を伴ひて塔の傍<ほとり>に到り見れば、平生の如く堅く錠の箝<おろし>ありて又入<いる>事能<あたは>ざれば、「抑<そ>も何処<いづこ>より上<あが>りしにや」と早速、錠を外して塔の上に登り、彼<かの>者の傍<そば>に行<ゆき>て熟々<つく/゛\>見るに、猶彼男は驚く色なく泰然<たいねん>として香を焚き、眼<まなこ>を閉ぢ、徐<しづか>に念珠を爪繰<つまぐり>居るにぞ、査公は急に是を咎め、住所、姓名を尋ねしに、件<くだん>の男は頓<やが>て眼を開<ひらき>て此方<こなた>に向ひ、「私は三重県下伊勢国三重郡<ごほり>小古曽村〔現・四日市市〕の農、藤田和助(三十年)と云<いふ>者にて昨日、家に在<あつ>て用事を仕て居ました処、忽然<こつねん>、一人の僧が入<いり>来り、『拙僧に従<したがふ>て彼所<かしこ>迄来<きた>るべし』と誘<いざな>ひ行<ゆか>るゝに、更に夢とも正気とも弁<わきまへ>ませず、暫時<しばらく>してフト眼<め>を覚<さま>し、四辺<あたり>を見ますれば、高き塔の上なる故、『抑<そも>茲<こゝ>は何処にて在るや』と尋ねしに、彼僧は更に答へず、懐より珠数と香を出<いだ>して自分に与へ、『西に向ひて此香を焚き、暫時眼<まなこ>を閉<とぢ>て念誦<ねんじゆ>せよ。左<さ>すれば、後程伴<ともなひ>に来るべし』といふかと思<おもへ>ば、僧の姿はあらずなりし故、私も不審ながら僧の教示<おしへ>し通り斯<かく>はして居ります」と答<こたへ>しにぞ、役僧は元より査公は益々<ます/\>奇怪に思ひ、塩小路分署へ拘引の上、猶能<よく>取調しかど、前の答の如くにて外<ほか>に別段疑はしき廉<かど>の有<あら>ざれば、程なく放免して帰されしよし。近所の風説<うはさ>にては世に云ふ天狗抔<など>の為業<しわざ>ならんといへど、斯<かゝ>るものゝ有<あり>としも覚<おぼえ>ず。何にもせよ最<いと>不審<いぶかし>き咄にぞある。
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