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昭和版“鈴ヶ森怪談”?【1954.8.16 朝日】

国道拡張のために移転工事中の東京・品川区の大経寺境内にある鈴ヶ森刑場跡から一群のしゃれこうべが出土。その内2個を日なたにさらしていたら、大経寺住職の妻の夢に侠客風の2人の男が現れ、暑さを訴えた。妻がしゃれこうべに朝夕水をかけると、2人が2羽の鳳凰となって空高く消える夢を見た。話は区役所や文化人の耳に入り、盛大な供養を催すことになった。

昭和版“鈴ヶ森怪談”
―京浜国道工事の余聞―

首ヅカの回りを掘ったらシャリコウベがぞくぞく出た。こわれたのはカメに納めカサカサに乾いた完全なものはそのまま日なたにさらしておいたら、お寺の住職の細君の夢まくらにそのシャリコウベの霊が現われて「回向してくれ」と頼んだ……原子力の二十世紀にとってチト縁遠い話のようだが、この首ヅカが幡随院長兵衛〔侠客(1622?-57)〕と白井権八〔浪人・平井権八(?-1679)をモデルとする歌舞伎の登場人物〕との出合いの場「お若けえの、お待ちなせえ」で有名な鈴ケ森の刑場跡であるだけに話ははずみ、役所や文化人、芸能界の人々が後押しして、二十日正午からこの仕置場跡に埋っているシャリコウベを掘り返し、この刑場で消えた幾千の霊を葬い、盛大に“権八供養”を催そうとしている。

掘返された「首塚」
亡霊、大黒さんの夢マクラに立つ
廿日 刑場跡で“権八供養”

現在この刑場跡は東京都品川区と大田区との境い目、旧東海道がナナメに京浜国道に交わる三角地帯(品川区大井鈴ケ森町一九三五、鈴森山大経寺境内)にある。題目塔、首洗い井戸、ヤリ洗い川、火あぶり台など昔のままに残っているが、大正十一年京浜国道建設の際ヤリ洗い川はアスファルト道路の下にかくれ、旧道に面して四十間〔約72.7メートル〕奥行九間〔約16.4メートル〕の刑場跡は約半分取り壊された。そのときカマス四十三俵分のシャリコウベが出たそうだが行方不明となってしまった。

現在京浜国道をさらに拡張するためこの刑場跡は旧道に沿い約三十メートル後退せざるを得なくなり、一カ月ほど前からその取り壊し移転工事が進められている。

道路拡張のため掘り返された鈴ケ森刑場(中央の繁みだけ残る)

ところで先月末のこと、工事現場から人夫が一群のシャリコウベを掘り当てた。ほとんど崩れていたが、中に二個だけほぼ完全なものがあったので、別にしてそのまま日なたにさらしていた。ところがその数日後、大経寺の奥八畳のクリにねていた妻の小越はなさん(四六)はシャリコウベの夢をみた。チョンマゲを結った二人のキョウ(侠)客風の男で三十歳前後、どちらも一本刀を差しており、はなさんに「こう幾日もさらされては暑くてしようがない。すまぬけれど水をかけてはくれまいか」と頼んでかき消えたという。

ビックリしたはなさんは百合の花や木の枝で日陰をつくり、朝夕水をかけてやった。それから三日後の夜、二人は二羽のホウオウとなって再び夢に現われ、刑場跡にある題目塔(カブキ「鈴ケ森」の“お若けえの…”の場に出て来る有名な塔)をめぐり、空高く消えて行ったという。

この夢物語は品川文化人クラブ(会長吉川英治〔作家(1892-1962)〕氏)や品川区役所の耳に入った。丸橋忠弥〔浪人(?-1651)〕、天一坊〔修験者(?-1729)〕、白井権八(本姓平井)八百屋お七〔(1668?-83)〕らが処刑された鈴ケ森だ。日本刑罰史上に名高い鈴ケ森の刑場跡がほとんど取り壊されてしまういま、日を決めてこの首ヅカを掘り起し、幾千の霊を葬ってやろうではないか、というわけで区、鈴ケ森史跡保存会、品川文化人クラブ、区邦楽舞踊連盟らが主体となって、白井権八を“代表者”と見立て、彼の相手、吉原芸者〔正しくは遊女〕の小紫のニシキ絵に似た女性をえらんで当時の衣装をつけてもらい清元の家元あたりにもご出馬を願って、当日は幾百のシャリコウベを前に盛大な“権八供養”を催そうということに決った。

鏑木〔忠正(1888-1962)〕品川区長の話=きけば東大でも参考のため掘り起すときはぜひ立会いたいと申出ているそうだから、二十日の午後、供養がすんだら当時の事情を語る座談会を開いて出席を願うなど、実のある催しにしたいと思っている。

朝日新聞 1954(昭和29)年8月16日(月)7面

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