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海豚の祟り【1908.4.12 東京朝日】

東京・隅田川に現れたイルカは千住で捕えられたが、間もなく死に、死体は見世物にされた。その見世物小屋にイルカを捕えた農夫が来て死体をもらい受けて供養したいと申し出た。事情を聞くと、イルカが死んだ後、娘が死に、熱を出した妻は「家族全員取り殺す」と口にしたという。

●海豚<いるか>の祟り
▽捕獲者の家族を取殺す
▽お詫には葬式と回向

隅田川一帯の漁夫船乗を翻弄し尽して千住大橋上流に現れ其処に果敢なき最期を遂げたる海豚の物語は去月廿九日の紙上に詳記したるが其後日譚<ごにちがたり>こそ恐ろしくも馬鹿らしけれ〔/〕

<さて>此海豚が千住〔東京都足立区〕迄溯<のぼ>る間に永代並<ならび>に両国附近にて漁船に追回され衝かれ<たゝか>れした上に浜町〔中央区〕の網船屋中川亀次郎は猟銃にて三発も射たるを平気で逃げ千住にて南足立郡江北村〔現・足立区〕下鹿浜<しもしゝはま>の吉田勘次郎(三十八)外<ほか>二名に生捕<いけど>られたり其後大橋際にて見世物に出<いで>たるが「此怪魚は俗に華魁<おいらん>と申し如何程堅固な網でも突破るが漁夫が海中に飛込みて緊<ひし>と抱き窘<すく>めると<こゝろ>の儘になり少しも暴れず陸上へ抱上げられる」と妙な口上に景気附き大入を占<しめ>しが下流の大橋連は自分等<ら>の手にて追込みたればと引渡を申込み両国の漁師連も同じ事を談判に及び前記浜町の中川は水上署へ観覧物興行の願書を差出<さしいだ>したり其文句に猟銃にて二発射ちたるに云々とありしより、「発砲禁制の場所とて相当の処分すると叱り飛ばされ驚いて一旦取下げ、「舟を覆<くつ>がへさんとせしより止むなく護身用の短銃<ピストル>にて打ちたりとの申訳にて事済になりたれど興行は許されず仕方なく各連交渉の上回向院境内にて権洞鯨<ごんどうくじら>〔巨頭鯨〕と名を附け見世物とするに決したり〔/〕

<しか>るに去<さる>九日大雪を冒して一人<にん>の農夫此小屋に来り、「是非とも魚<うを>に面会さして呉<くれ>と申入れたり番人は変だと思ひ乍<なが>ら案内すれば件の農夫はハラ/\と落涙に及び生きたる人に物言ふ如く海豚を撫でゝ何卒<どうか>勘弁して呉れお前は俺が貰ひ受けて立派に葬式<とむらひ>も出し回向をするから、往生して呉れと懇<ねんごろ>に申聞け扨興行人に向ひ、「<わたし>は此魚を打殺した吉田勘次郎なるが<かの>事ありて三日目に娘のお花(六つ)が死亡し其翌日から女房お時(三十一)が大熱を発し昼夜を分<わか>たず苦悶して折角遊び居るのを殺したから此家<このうち>の者残らず取殺すと口走り手が付けられず今日<こんにち>は村の者に留守を頼みて魚に詫に来たので此興行が済んだら此死体を渡して貰ひたいとの頼みに興行人の側でも今迄費用も掛り居<を>れば<それ>を償う間興行し其上にて早速引渡す旨承諾し勘次郎は大<おほ>いに喜び帰宅したりといふ昔譚<むかしがたり>にでも有り相な事

東京朝日新聞 1908(明治41)年4月12日(日)6面

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