狭山山麓の怪事【1901.3.24 東京朝日】
●狭山<さやま>山麓の怪事 怪力乱神は語らぬものなれども、土地<ところ>の人々が不思議がりて口々に罵り騒ぐを聞きながら、我のみ「左<さ>る理<ことわり>はあらじ」など、かしこ顔に打笑ふも憎気<にくげ>にや見ゆるならん。いでや人の怪しとて怪しむを怪しきまゝに記さんに、埼玉県入間郡<いるまごほり>所沢在の山口村〔現・所沢市〕に狭山といへる山あり。高からねども、道、嶮<けは>しく、谷は九十九<つくも>に別れありとて九十九谷<つくもだに>の唱へあり。此山、また茶所に名高く、世に狭山の茶とて知られしは此地より出<いづ>るものなりとかや。然<しか>るに此山の麓に岩崎、荒幡<あらはた>といへる二ツの小村あり。素<もと>より山中不便の地、梅をもて暦とし、僅かに春を知るのみなれば、家とても疎<まば>らに道はた淋しう草生<お>ひ重なりて鼬<いたち>、狐などの昼も尚所得て通ひ歩<あ>るく程なるが、去る十四日の夜<よ>、岩崎の黒田六右衛門の倅、六三郎(二十三)といふもの、去り難き用事ありて此道を通りしに、荒幡へ出<いで>んとする所にて雲突く許<ばか>りの大男の手に白張<しらはり>の提灯<ちやうちん>を携<たづ>さへて来<きた>るに逢ひ、不<ふ>と顔を見上<みあぐ>れば、彼<か>の大男は大の眼<まなこ>を見開き、又広き口を開<あ>きて長き舌さへ出<いだ>しけるにぞ、六三郎は胆<きも>先づ潰<つぶ>れて久しく目戍<まも>り得べからず、「アツ」と叫んで倒れし儘、良<しば>らく人心地を覚えざりしが、軈<やが>て我に返りて起上<おきあが>れば、怪しの大男は何地<いづち>行きけん、影も形も見えずして梢に風の音のみさう/゛\しかりしかば、此間<このま>に我家へ逃帰<にげかへ>り、命拾ひをなしてける。〔/〕

然るに同じき廿日の夜に至り、此道より程遠からぬ二瀬<ふたせ>川の枝流<えだながれ>の岸に一団の陰火、燃上<もえあが>り、見る/\うちに野火となり、草より草へ燃移りて其光、昼の如く、次第/\に人家にも燃移らんず気色<けしき>見えければ、所の若者、鹿島新三郎、小峯次平などいへる人々、莚<むしろ>を掛け、水を注ぎ、辛うじて其火を消止めたるが、跡にて見れば、燃えたりと見し枯草は元の如くにて聊<いさゝ>かも変<かは>れる事なく、只莚のみ落散りありしに、さしもの若者等<ら>も「何の事ぞ愚々<ばか/\>し」と謐<つぶ>やきて止<や>みたるが、其後<そのゝち>も二度三度斯<かゝ>る怪しき事ありしとて何<いづ>れも気味悪く思ひ居れりといふ。斯る不思議の妖怪も例の井上〔円了(1858-1919)〕博士に睨まれなば、狐か狸か其化の皮は現はれつべし。
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