「生木大黒」チヨン伐らる【1940.4.8 東京朝日】
約20年前、神奈川県酒田村の素封家が夢のお告げにより小田原のクスノキの大木を彫り、「生木大黒」として祀ったところ、繁盛した。しかしすぐに警察の取締を受け、社殿が取り壊されそうになると、警察関係者、素封家一家、作業員が不幸に遭い、誰も手を付けなくなった。ところが、このほど工事のために生木大黒の木が伐採され、小田原の人々は祟りがあるのではとおびえている。
大黒天の身をもつてサンザン怪奇の伝説を撒き散らし、今なほ信仰者を集めてゐる小田原名物の「生木大黒」――これが愈<いよ/\>チヨン伐られ、木工細工屋へ五百円で売り飛ばされることになり、又しても街の人々を顫<ふる>へ上らしてゐる。
伝説とは――約二十年前、足利上郡〔足柄上郡〕酒田村〔現・神奈川県開成町〕の素封家某氏が夢枕に立つた白髪白髯の老人からのお告げによつて小田原駅裏に生えてゐた樹齢六百年の樟の大木に身長一丈三尺〔約3.9メートル〕余の大黒天を彫刻、社殿を設け、“小田原の福運生木大黒”と銘打つて祀つたところ、霊験たちまち現れ、一時は信者で大変な賑はひ、ところが間もなく“インチキ神社”の汚名の下に県から小田原署を通じ、愈々社殿取毀しとなつたところ、不思議や、先づ命令系統の警察部長、署長等は悲惨な末路、素封家某氏一家は死滅するやら、作業人夫が病気をするやら……その後十余年、唯一人、手をつける者もなかつたが、此の程、分譲地工事から又も問題になり、伝説を蹴飛ばして伐採となつたもの。
附近の木挽連は勿論、寄りつかず、東北からわざ/\雇つて去る五日、とうとう伐り倒したが、「さてたゝるかな?……」と街の人達は冷汗。(小田原)
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