因縁“踏切の悲劇”【1936.8.20 東京日日】
東京・亀戸の踏切で小学生が電車にはねられ、即死した。くしくも前年の同じ日、同じ時刻、同じ場所で幼児が同じ電車にはねられており、近所では今度の事故は死んだ幼児の亡霊の仕業だろうと噂している。
因縁“踏切の悲劇”
一年前と同じ日の同じ時刻
同じ電車に轢殺さる
十九日午後一時四十一分、城東区〔現・東京都江東区〕亀戸七の一四〇、総武線踏切で同町六の四〇、銀行小使、吉田徳次郎さん二男、第二亀戸小学校六年生、政夫君(一二)が兄の保善商業〔東京保善商業学校(現・保善高等学校)〕二年生、実君(一五)とトンボ釣に夢中になつてゐる折柄、驀進してきた千葉発、お茶の水行一二〇七五号電車にはね飛ばされ、無残にも即死したが、昨年の同日同時刻、同所で同町八の一四五、人夫、小川平蔵さん四男、四郎君(四つ)がトンボ釣に夢中になつてこれも同じ電車の一二〇七五号にはね飛ばされた事実が近所の人の口から判明した、〔/〕
このつながる因縁話を聞かされた運転手の五火田栄君、すつかり青くなつてゐたが、付近では『四郎さんの亡霊の仕業だらう』と噂し合つてゐる。
東京日日新聞 1936(昭和11)年8月20日(木)11面