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モダンお化け橋【1936.3.22夕 読売】

東京と埼玉をつなぐ戸田橋は昭和7年の架け替え以来、交通事故が頻発している。付近にはかつて墓地があり、事故は荒川放水路開削の際に墓を掘り返された亡霊の仕業ではないかと言われる。そこで地元の人々の奔走で慰霊祭を行い、祟りを鎮めることになった。

恐ろしや怨霊の祟り
頻々たる交通事故
廿三日 おそる/\慰霊祭
モダンお化け橋

東京から埼玉への幹線中仙道〔中山道〕が荒川放水路をわたるところに架つたモダン大橋―板橋志村蓮沼町二一五七先の『戸田橋』は昭和七年末開橋以来頻々たる交通事故をおこし昭和九年度四十件、同十年度五十件、今年に入つてもすでに惨死者三名もだし、板橋署交通係でも『鬼門』として厳戒されてゐる場所だが、しかも大事故をおこす場所が決つたやうに同じ場所であり、最近はそれにまつはるつぎのやうな奇怪な噂さへ拡がつてきた―

即ち 惨事の起る場所はいつも志村方面から約二百米〔メートル〕の橋上で、事故をおこす自動車はみんな東京から埼玉県へ向ふものに限られてゐる、かうした不思議な現象から何か亡霊のなす業でもないかと地元でさかんに噂が拡まつてきた

そこで志村駐在所で調べてみると果せるかな、惨事のおこる箇所はかつて

墓地 のあつたところで、荒川放水路を開鑿する時心ない土掘人夫達が多数の墓を掘返し、その後も永い間遺骨壺や古い位牌などが河原の枯草の間に曝されてゐた、つまりかうした惨事は墓を掘返されて浮ばれぬ怨霊の恨みであらうといはれる、さういへばちよつと普通の交通事故とは思へぬやうな不思議な惨事が二つもあつたそれは昭和九年七月一日午後五時ごろ折から試運転に志村まできた浦和消防署の自動車が帰途について戸田橋上に差かゝつた時、前方を走るリヤカーの老人を避けようとしたトタン誤つて老人もろとも鉄製の欄干を突破つて橋下に顛落運転手、助手、老人と一時に三人の即死者を出し、また去る一月廿二日午前五時ごろ神田富山町〔千代田区〕二二大弓今朝吉氏所有のトラツクに鉄材を満載、運転手玉井由喜男(二〇)君が助手大野一成、市川八造の両君を同乗して志村から蕨へ向けて疾走中前方からきた

自転 車を避けんとして運転を誤り橋下に墜落、三人とも奇蹟的に命拾ひをしたがあまりの寒さに焚火をはじめた時衣類に付着してゐたガソリンに引火して大野君は丸焼け、市川君も病院で死亡焦死を免れた運転手の玉井君はあまりの驚愕と責任観〔責任感〕から付近の東北本線川口鉄橋で責任自殺をしてこれ又相次いで三人とも死んでしまつた…

そこでこんど地元の板橋志村小豆沢町一三六吉田福次郎氏などが奔走の結果、廿三日午前十時から戸田橋下の河原で交通事故防止会志村支部主催、埼玉県蕨自動車業者組合後援のもとに殉難者の慰霊祭を盛大に行ひ、浮かばれぬ亡霊をねんごろに慰め以後断じてかゝる祟りをやらないやうにお頼み申す事になつた

読売新聞 1936(昭和11)年3月22日(日)夕刊

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