『首つぎ地蔵』由来【1932.11.29 東京日日】
東京・小石川に住む人が首のない地蔵の夢を見た。その後、夢で見たものとそっくりな首のない地蔵を板橋区中村で発見。このことを護国寺で読経する会で話すと、ある婦人が家に地蔵の首を保管しているという。その首を板橋の首なし地蔵に合わせてみると、ぴったりつながった。そこで高僧を招いて法要を営むことになった。
小石川音羽〔東京都文京区〕の護国寺に暁かけて数珠を爪<つま>ぐる善男善女の集ひ――暁天会のメンバーに同区音羽一の二、守家広太郎氏がある、とても熱心な
地 蔵信仰家である、去る十月の一夜、ボキンと首が折られたいたいけなお地蔵様が夢枕にたつた、その後<ご>の守家さん、物の怪に憑かれたように首なし地蔵のことを忘れずにゐたところ、去月十八日、いつもの地蔵巡りの時、バツタリ板橋区中村町〔練馬区〕二丁目の首なし地蔵の前に立ちどまつた、袈裟のひだといひ、錫杖の形といひ、夢のお姿と寸分たがはない。

守 家さん、このことを同じ会員の正木〔直彦(1862-1940)〕美術院〔帝国美術院(現・日本芸術院)〕長夫人いく子さんに話したところ、正木家には震災〔関東大震災(1923)〕以来、大事に所蔵してゐたお地蔵様の首があつた、仏心に厚い正木老夫妻は気の毒な地蔵様のため、秘蔵の首を携へ、石工を連れて去る廿三日、板橋の首なし地蔵様に合はせて見ると、まるで注文したようにピタリと首がつながつた、そこで廿九日午後一時から大和〔奈良県〕長谷寺の小林正盈〔正盛(1876-1937)〕師がわざ/\
出 席して『お地蔵流し』の法要を営む。正木氏夫妻をはじめ、関係者数十名が参列する筈で、付近一帯はどえらい評判、いく子夫人は法悦にかゞやきつゝ語る。
本当に不思議です、あの地蔵様のお首は震災の直後、主人が世話してゐたある美術家が新聞紙に包んで抱へて来たものです、それが十年ぶりであの首が立派なお地蔵様になつたのは菩薩様のお力でせう。
何 しろ失業時代だ。『首つぎ地蔵』とあつてサラリーマンはもとより、各方面からのおまゐりで御発光になることであらう。(写真は首つぎ地蔵尊)
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東京・護国寺で「首接地蔵縁起絵巻」展が開催される。絵巻が描く地蔵の由来には次のような不思議な実話がある。護国寺で読経をする会に参加するある人が首のない地蔵が野原に立っている夢を見た。そして数日後、夢で見たのと同じ首のない地蔵を練馬の野原で発見。このことを読経の会で話すと、会員の婦人の家に知人が持ち込んだ地蔵の首が安置されているという。その首を練馬の首なし地蔵につないでみると、ぴったりと一致した。話を聞いた人々が参詣に押し寄せ、地蔵は「首接地蔵尊」として人気になった。... [続きを読む]
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