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墓地の祟り恐しや【1935.11.23夕 読売】

東京・愛宕山のラジオ局AKは隣接する寺の墓地の跡にスタジオを増築した。すると、新スタジオが逓信省から設備不完備を指摘されたり放送局関係者5人が亡くなったりと不幸が続いた。元墓場の怨霊の祟りを恐れた局員はスタジオに祭壇を設けて供養を行うことにした。

墓地の祟り恐しや
A・Kが死神退散の供養
不幸続きに怯え廿五日修祓式
電波・地獄へ届かず

科学の尖端をゆく愛宕山〔東京都港区〕のAK〔日本放送協会東京放送局(現・NHK放送センター)〕が局員身辺の不幸つゞきに怯気<け>をふるつて『死神退散、悪魔消滅』といふお題目をかかげて来る廿五日午前十時半から浅草寺の坊さんの手でお祓<はらひ>と大供養をやることになつた、そも/\この大供養のいはれといふのは

昨秋 局舎が手ぜまとなつたので青松寺の墓地三百坪を借りて改葬した跡へ日本一の大スタヂオを増築したが、トタンに新スタヂオは逓信省から設備不完備ときめつけられたのがケチのつき初め

ステージ開きをした新響〔新交響楽団(現・NHK交響楽団)〕には騒動が持ちあがり、音楽嘱託須永克巳〔克己(1900-35)音楽研究家〕氏、印刷部の富田一郎氏が物故し、続いて増築の責任者である臨時建築部長藤本勝徳氏が逝き、間髪をいれずに小野文芸部長の多枝子夫人、久保田演芸音楽課長京子夫人の死等五人続きの不幸…

さすがの局員たちも演芸プロお手のもの

怪談 を連想し戦々兢々、これは増築した元墓場の怨霊の祟りだといふので新スタヂオに祭壇を作り修祓大供養と大施餓鬼を行ふことゝなつたものである

読売新聞 1935(昭和10)年11月23日(土)夕刊

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