幽霊の香奠【1935.10.3 読売】
3代・坂東秀調が亡くなり、3代・市村亀蔵が俳優仲間を代表して通夜に香典を届けることになった。ところが、その亀蔵も通夜を前に急死。しかし秀調の妻は確かに通夜に来た亀蔵から香典を受け取ったという。
此間、秀調〔3代・坂東秀調(1880-1935)〕が死んだ時、猿之助〔2代・市川猿之助=市川猿翁(1888-1963)〕、友右衛門〔6代・大谷友右衛門(1886-1943)〕、寿美蔵〔6代・市川寿美蔵=3代・市川寿海(1886-1971)〕、亀蔵〔3代・市村亀蔵(1890-1935)〕、松蔦〔2代・市川松蔦(1886-1940)〕でたてゝゐる梨生会から香奠〔香典〕を贈ることになり、月番の亀蔵が、秀調の通夜の時に、持参することになつてゐた所、その亀蔵も思ひがけなく、ぽつくりと死んだ。
そこで猿之助は通夜に行つた時、秀調の内儀に、「かく/\の始末だから、会の香奠はあとから」といふと、内儀は顔の色を変へて「その香奠は届いてゐますよ」といふ薄ツ気味の悪い話、其上、持つて来た人も慥か〔確か〕亀蔵さんらしかつたとの話に、さすがの猿之助もぞく/\して退却した。
この不思議な怪談話が「幽霊の香奠」として、楽屋内では一つ話になつてゐるが、たゞ友右衛門だけは驚かずにゐるので、或はその翌月の月番に当つてゐる当人が、内証で香奠を立替てゐるのかと聞いた者もあつたが、知らぬと口を割らぬため、「幽霊の香奠」は、劇界に不気味の話として昨今、この話で持切つてゐる。【写真右より秀調、亀蔵】
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