無気味な三軒続き【1930.4.30夕 東京朝日】
資産家の息子が弟を殺し、遺体を埋める事件があった東京・世田ヶ谷町の長屋ではその後、無気味な出来事が続いた。まず隣家の鉄道運転士が情緒不安定になり、自殺未遂。次にその隣に住む行商人が失踪。残された妻子は食事に不自由し、息子が死んでしまった。付近では殺された弟の怨霊のためだと恐れている。

実弟殺し、谷口富士郎が昭和三年一月から同四年四月まで居住し、三年十一月中旬に実弟を惨殺した世田ケ谷町〔現・東京都世田谷区〕経堂在家の長屋にはこの数年来、無気味な事件が次から次と続いた。
写真 の向つて右端が例の富士郎の実弟を殺害した家で、玄関の右角、矢印の所が省二郎の死体を埋<うづ>めた所である、死骸を堀〔掘り〕だした後の土が軟く盛上つてその上にさかきが立てゝあつて白い御幣の紙が雨にぬれてはた/\と薄気味悪くゆれてゐる。
その 隣の貸家札のはられてある家にもかつて底気味悪い事件があつた、それは昨年の九月中の出来事で、同月始め〔初め〕に小田急の運転手、馬見塚千代一夫婦が引移つた所が、それから数日後、夫の千代一が唯何となく衰へて来て夜もろくろく眠れない様になり、夜となく昼となく何者にか脅<おびや>かされてゐる如く精神状態が急に変つて挙動も狂人めいて来た、妻は原因不明の夫の容体を
非常 に気遣つて絶えず注意を怠らなかつたが、越えて十月にいつたある夜<よ>、千代一は突然、起き上つて布団の上に端座し、日本刀で腹を真一文字にかき切つた。その夫のうめき声に妻が早く眼がさめ、医師の手当を受けたので、幸ひ命は取り止め、その後<ご>、郷里に引きあげたが、病勢はいよ/\募る許<ばか>りであるといふ。
その 隣の家にもこれと前後して不思議な事件があつた、そこには菓子行商人、鈴木貫一夫婦が四年六月に移り住んだ所が、これも不思議な事には夫貫一が間もなく夢遊病者の如く無気力な男になつてしまつた、それがため妻女は生活に追はれ、その後、家賃等二、三月間滞るに至つた、すると、貫一は『国へ帰つて金をこしらへてくる』と出たまゝ、十一月になつても帰つて来なかつた、その間、妻は三度の
食事 もろく/\食はずに待ち続けてゐるうち、十月中旬、二歳になる長男がころりと死んでしまつた、妻は夫の郷里をはじめ、心当りを極力探したが、遂にどこにも夫の姿は見えなかつた、いまだに生死のほどさへわからないとの事である。妻は子供の葬儀を済ますと、十一月末、自分の里方に引きあげた。
それ に今度の怪奇な事件で付近の人達はスツカリおぢけがつき、寄るとさはると、軒続きの玄関先に埋<うづ>められた省二郎の怨霊のたたりだと語り合つてゐる、省二郎の死体発堀以来、その近所には貸家札が次第に殖<ふ>えて行つてゐる。