〔亡夫が恋しい余り〕【1880.5.27 読売】
夫に死なれ、悲嘆に暮れる東京・神田の未亡人の夢枕に亡夫が現れ、遺産の隠し場所を教えた。かえって亡夫が恋しくなった未亡人は精神に異常をきたしてしまった。
○「怪力<くわいりよく>乱神を語らず」といふ本文<ほんもん>もあり、今の世に幽霊話しとはチト不向なれど、聞込<きゝこん>だまゝ書き載せるは、神田松富町〔東京都千代田区〕の松浦おぶん(四十二年)は去年の秋、睦ましくせし亭主に死なれ、其時、「共に死んでしまふ」とまで歎き、騒いだのを親類の者が漸やく諫め、諭して押し止めた後<の>ち、おぶんは亭主の位牌に向ツて念仏申すを何よりの楽<たのし>みにして後家世帯<じよたい>を張て居ると、或夜、夢ともなく現<うつゝ>ともなく亡き夫が枕辺に立顕れ、「我が存生中、非常の時の用心と思ひ、金十五円を戸棚の破目裏<はめうら>へしまひ置いたれば、取り出して資本<もとで>の足しにせよ」と云畢<いひをは>ツて掻き消す如く失せたので、おぶんは不思議の事に思ひ、翌朝、早く起き出でゝ夢の告の如く戸棚の裏板をはがして見ると、其通り襤褸裂<ぼろきれ>に包んで銀貨が十五円有ツたゆゑ、おぶんは一度は悦び、一度は歎き、「是ほど私の事を思ツて跡々までも心配して呉れる深切〔親切〕な亭主がまたと両人<ふたり>、此世に有るものか。亡夫<なきつま>恋し、懐し」と夫<それ>より少し神経が狂ひ出し、「隣家の何某は亭主に面影が似て居るから、是非彼<あの>人と夫婦になりたい」とて其事ばかり云ひ続け、昼のうちから枕をかゝへて「是から彼人と楽むのだ」とて家中<うちぢう>狂ひ廻るゆゑ、此ごろでは一家<いツけ>親類の者も困り切ツて居るといふ。
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