庚申塚の末路【1901.12.28 東京朝日】
東京・巣鴨の庚申塚を売却した白米商夫婦が風呂屋に宿泊したところ、妻が風呂場で倒れ、急死。塚の祟りと恐れられている。
●庚申塚の末路 重野〔安繹(1827-1910)〕博士の古事抹殺、井上〔円了(1858-1919)〕博士の妖怪撲滅などゝいふ大議論、世に現はれて旧弊家の荒肝を取挫<とりひし>いでより、所謂<いはゆる>言伝へなるものゝ信用、忽<たち>まち地に落ち、「此山に由緒も糸瓜<へちま>もあるものか」、「あの塚も発<あば>いて終<しま>へ」と鋤鍬を担ぎ出す連中、多く、中には板碑<いたび>採集などゝいふ一種風変りの道楽を思ひ付く輩も出来りたるには山神も塚の神も震へ上つて遁去<にげさ>らざるを得ざるべし。其さるといふ字に付て思ひ出しは巣鴨〔東京都豊島区〕にありて名の高き庚申塚の末路なり。〔/〕

此塚卅坪の地は維新後久しく手を付るものなく、塔に刻みし三<みつ>の申<さる>も触れざる、欠かざる、毀<こは>さゞるにて旧形の儘を保ち居りしが、一昨年、同じ巣鴨村大字堀割八十番地の白米商、千原八蔵(四十二)といふ無信心者の手に落ちてより、近所の土地は追々に開けてまさるめでたき繁昌となるに引替へ、此塚のみは荒<あれ>のみまさる有様にて終に微々たるものとなり、去る廿二日は愈々<いよ/\>取崩しの悲運に陥<おち>いり、「南無妙法蓮華経」の七字を刻みし八尺〔約2.4メートル〕余の大石塔を始め、傍らの石塔は皆、人夫の為に掘出されて売物となり、早くも買手、付きたれば、八蔵は此暮に迫りて思はぬ金を儲け得て其夜は女房お初(三十六)と共に同所の湯屋、千代の湯に泊り、心嬉しく酒を酌みて湯に入りしに、お初は余りに長湯をして終に湯気に上<あが>りしものか、但しは塚の神の祟を受けたるものか、風呂の中<うち>にて卒倒せし儘、再<ふた>たび息を吹返さず、死人となつて浮び居たるを程経て人々が見付出し、八蔵へ知らせて大騒ぎをなせしが、口さがなき輩は早くも「塚の祟よ」といひ触らし、今更の様に戦<おのゝ>き居るとは、ハテわつけもない。
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