将門の霊よこの通り謝まる【1928.3.27夕 東京朝日】
関東大震災後、大蔵省に病人が続出。平将門の首塚の上に仮庁舎を建てて怨霊の怒りを買ったことが原因とされ、省を挙げて鎮魂祭を行うことにした。
帝都の真ん中、しかもいかめしいお役所で昔ながらの怨霊鎮めの祭が行はれる。その話はかうだ、震災〔関東大震災(1923)〕後、大蔵省ではどういふものか、病人が続出して早速<はやみ>〔整爾(1868-1926)〕蔵相、矢橋〔賢吉(1869-1927)〕営繕管財局工務課長、その他十数人は
現職の まゝで亡くなつて行く、数字には冷静で、遠慮なく各省予算を天引する役人も生命だけには神経過敏になつて算盤<そろばん>をはぢいた結果、どうもこれは将門〔平将門(?-940)〕の怨霊のせいらしいと衆議が一致した。今の丸之内〔丸の内(東京都千代田区)〕大蔵省敷地は元神田明神と浅草日輪寺のあつた所で、震災前まではその中庭に平将門の首塚を祭つてゐたが、震災後、バラツクを建てる時に首塚を今の主計局の縁の下にたゝきこんで毎日、靴でギユー/\踏みつけてゐた、これは怒<いか>るのももつともと
廿七日 午後四時、省内第二食堂を祭場とし、神田明神社司主祭の下<もと>におごそかな鎮魂祭を行ふことになり、更に来月十四日には藤沢遊行寺の高野管長を招いて日輪寺で法要を営み、大蔵省役人一同、『今後はどうぞよろしく』と参拝のはずである。
« 八ツ山下の怪談【1890.8.15 読売】 | トップページ | 〔深夜の皇居に怪しい女官〕【1881.11.19 読売】 »
トラックバック
この記事へのトラックバック一覧です: 将門の霊よこの通り謝まる【1928.3.27夕 東京朝日】:
» 成仏せよ平将門【1941.3.13 読売】 [古新聞百物語]
2人の蔵相の暗殺や落雷と近年、凶事続きの大蔵省では平将門の怨霊を鎮めるため、将門塚の石碑を新しく建てることにした。 [続きを読む]
« 八ツ山下の怪談【1890.8.15 読売】 | トップページ | 〔深夜の皇居に怪しい女官〕【1881.11.19 読売】 »