〔祟りの古井戸〕【1882.5.7 読売】
阿波国名西郡市楽村に「祟りの井戸」と呼ばれる古井戸がある。そこには昔、郷士の屋敷があり、愛妾が本妻に殺され、井戸に投げ込まれた。悪事が露顕した本妻は首を刎ねられ、井戸へ。主の郷士も発狂して横死したという。最近、この古井戸に身投げが相次ぎ、再び井戸の祟りが取沙汰されている。
○何某殿の邸<やしき>跡などいふ処には是等<これら>の怪説多きものにて珍しからねど、阿波国名西郡<みやうさいごほり>市楽村〔現・徳島県名西郡石井町〕の字北窪に笠井由蔵といふ百姓ありて此男の所有地内<もちゝうち>に祟の井戸と唱へる一個<ひとつ>の古井戸あり。〔/〕
此井戸の因縁を聞くに、其昔<むか>し此地に何某と名に知られたる郷士、住みて妾、腰元を多く抱へ、家の豊かなるまゝに驕奢佚楽に月日を送りしが、二人有る妾の中<うち>、おさみとて気立も素直に顔形も美しきを殊に寵愛し、本妻と今一人の妾は空しき閨<ねや>に独り空のみ眺め勝ちなるに、彼のおさみは懐妊さへしてます/\主の寵愛を得たりければ、本妻と妾は大いに妬みし余り、二人にて思ひ立ち、或夜、主が不在<るす>の間<ま>におさみをば本妻の座敷へ密かに招き、酒など出して油断をさせ、本妻、妾<せふ>の両人にておさみを縊<くゝ>り殺し、鬼々しくも其死骸を庭続きなる野中の古井、即ち此祟の井戸へ重りを付けて投げ込み、素知らぬ顔に過<すご>せしが、主は愛妾が家出して見えざるより大いに気を焦<いら>ち、家内中の者を集めて詮議をしても、皆、おさみの寵愛を妬み居たる者なれば、「彼女<あのをんな>は外<ほか>に密夫<みそかを>が有りて夫<それ>と共に逃げたるならん」と異口同音に云ひ立つるに、主も力なく其まゝにせしが、或夜の夢に彼<か>のおさみが古井の傍らに立ちて潜然<さめ/\>と泣くを見て驚ろき、覚め、偖<さて>はと心に思ふ事あれば、翌日、直ちに人を駆催ほして彼の井戸を改見<あらたみ>れば、果しておさみの死骸有りて其口中に、死するとき苦しきまゝ噛み切りたるものか、本妻の小袖の裂<きれ>が有りしより、悪事が顕はれたれば、何某は怒りに堪へず、本妻と妾をばおさみの死骸の前にて首を刎ね、其死骸を井戸へ投げ込み、おさみの死骸のみ厚く頼み寺〔菩提寺〕へ葬<はう>ふりしが、夫より間もなく何某も発狂し、あらぬ事を口走りて狂ひ廻れば、家人<けにん>は怖<おそ>れて一人減り、二人減り、終に皆、逃げ出でたる跡は何某一人となりて狂ひ死<じに>に死したるより、「彼<あ>の屋敷へは幽霊が出る」の、「火の玉が転げる」のと怖<おそろ>しがツて住む者もなかりしが、時去り、年過ぎて耕地となり、前の由蔵が持地とせしが、一昨年の十一月中、同村の村瀬守太の長女ひさ(十七年)といふ者が、如何なる訳の有てか、此井戸へ身を投げしより、一たび消えたる怪談が鬼火と共にまた燃え立ち、恐れて近づく者もないうち、また/\昨年の二月ごろ、是も同村、鎌田嘉吉の弟、竹次郎といへる者が同じく此井戸へ飛び込て非業の死を遂げたれば、いよ/\井戸の祟りよとて村中一統が申し合せ、大きな石を蓋に作りて覆ひ置きしが、先月二十四日の事とか、矢張同村に住む鎌田万平の女房おきわ(三十四年)が不図<ふと>行方知れずになりたれば、諸方手分けをして探せど、知れねば、「若<も>しや彼の井戸にはあらざるか」と行きて見れば、案の如く、さしも重き石の蓋を取除けて身を投げて居たれば、いよ/\村の者は身の毛を立<たて>て驚ろき、此祟りをば鎮める為<た>めに和尚を頼んで大般若〔大般若経〕を転読〔要所要所だけ読むこと〕して貰はんと騒ぎ居る由なるが、用なき井戸なら、埋るが一番よかるべし。
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