多摩川怪談【1936.12.26夕 東京朝日】
日活多摩川撮影所の俳優で結成されたジャズバンドに、歴代担当者が死亡、引退、妻と死別といった不幸に遭う曰くつきのバンジョーがある。気味が悪いと後任の担当者が現れず、焼却処分することになった。
多摩川怪談
死の神につかれた楽器
日活多摩川〔現・角川大映撮影所(東京都調布市多摩川6丁目)〕のスター連を以て組織されてゐる「日活アクタース・ジヤズバンド」のバンドの中には、メリイ・ピツクフオード〔Mary Pickford (1893-1979)カナダ生れの米国の映画女優〕が来朝した際、サインしたといふ曰く附きのバンジヨーがあるが、
最初、川又健太郎〔堅太郎〕が之を担当したところ、ポツクリ死し、その次に之を引受けた神田俊二〔(1900-?)〕は軈て〔やがて〕人気失墜して俳優を止め、愛妻、浜田富士子〔浜口富士子(1909-35)女優〕が病死する。三番目は宇留木浩〔(1903-36)本名・横田豊秋〕だつたが、是亦今夏、頓死、今度死んだ沖悦二が四回目の担当者だつたと云ふ訳で、
一同、薄気味悪がり、今はこのバンジヨーの担当者がなくなつたので、近くこれを焼き棄てることになり、衆議一決したさうだ。
東京朝日新聞 1936(昭和11)年12月26日(土)夕刊