« 銀杏寺の怪音【1913.11.18 都】 | トップページ | 車上の幽霊【1915.3.16 都】 »

多摩川怪談【1936.12.26夕 東京朝日】

日活多摩川撮影所の俳優で結成されたジャズバンドに、歴代担当者が死亡、引退、妻と死別といった不幸に遭う曰くつきのバンジョーがある。気味が悪いと後任の担当者が現れず、焼却処分することになった。

多摩川怪談
死の神につかれた楽器

日活多摩川〔現・角川大映撮影所(東京都調布市多摩川6丁目)〕のスター連を以て組織されてゐる「日活アクタース・ジヤズバンド」のバンドの中には、メリイ・ピツクフオード〔Mary Pickford (1893-1979)カナダ生れの米国の映画女優〕が来朝した際サインしたといふ曰く附きのバンジヨーがあるが

最初川又健太郎〔堅太郎〕が之を担当したところポツクリ死し、その次に之を引受けた神田俊二〔(1900-?)〕は軈て〔やがて〕人気失墜して俳優を止め、愛妻浜田富士子〔浜口富士子(1909-35)女優が病死する。三番目は宇留木浩〔(1903-36)本名・横田豊秋〕だつたが、是亦今夏頓死、今度死んだ沖悦二が四回目の担当者だつたと云ふ訳で

一同薄気味悪がり、今はこのバンジヨーの担当者がなくなつたので近くこれを焼き棄てることになり衆議一決したさうだ。

東京朝日新聞 1936(昭和11)年12月26日(土)夕刊

« 銀杏寺の怪音【1913.11.18 都】 | トップページ | 車上の幽霊【1915.3.16 都】 »