« 怪談五軒長屋【1912.10.11 都】 | トップページ | 絞首台の跡【1912.11.7 都】 »

〔熊本で撮られた幽霊写真〕【1883.3.29 読売】

熊本の写真屋で兵士3人の写真を撮ったところ、その場にいない男の上半身が写った。兵士の1人が西南戦争で多数の死体を取り扱ったことから、その亡霊でないかと言われる。近所では幽霊の写真として評判になっている。

○怪力<くわいりよく>乱神〔理性で説明できないもの〕を語るは素<もと>より好まぬ事ながら両三年跡〔2-3年前〕に高輪〔東京都港区〕の坊主が写真を写した処其者の後<うしろ>へ茫然<ぼんやり>と婆さんの姿が写ツて居るをよく/\見ると其以前其坊主に殺された者で有たとかいふ話しを載せた事の有りしが<こゝ>にまた夫<それ>に似寄なるいと奇怪な話しが熊本の紫溟新報〔『熊本日日新聞』の前身の1つ〕に載せて有る〔/〕

其趣きは熊本魚屋町三丁目の写真師松永彦次郎といふ者が今月十四日幽霊の写真を取りしとの噂を紫溟新報の記者が聞き込み同月十八日右の写真師の許<もと>へ噂の実否を聞糺<きゝたゞ>しに趣き<とく>と写真を見られしに其写真は三名の兵卒を写せしものにて其うち一名は帽子を被りしまゝテーブルに凭<よ>跡の二名は椅子に掛ツて居る図にてテーブルに凭ツて立<たツ>て居る兵卒の後の二寸〔約6.1センチ〕ばかり上の処に五分刈の散発頭にて年の頃は三十以下とも覚<おぼ>しき男が左の腕へ白布の様な物(是は西南の役〔西南戦争(1877)〕に鹿児島人が用ひし合印の由)を附けたまゝ胸部<むね>より上がボンヤリと写ツて居り其面体<めんてい>は頬骨高く目眦<まなじり><あが>りて如何にも勢ひの無き顔附をして居るが主人松永の話しに此写真を写した日は水曜日にて天気もよかりしゆゑ兵卒は例の通り五人三人づゝ幾群も遊歩に出た中に其日の午後二時ごろ二人連の兵卒が此松永方へ来て写真を写して居た処へまた一人来て三人一途<いツしよ>に写した処最初位置を定めるとき眼鏡<めがね>にて見た時は何の変りも無く三人の兵卒のみなりしが玻璃板<がらすいた>に写し取ツて暗室へ持ち行き薬を掛て見るとアヽラ怪しや三名の兵卒の外<ほか>に別に一人写ツて居るに驚き、「<かゝ>る珍事を世間に沙汰するは宜しからず写し損ぜしと云ひ今一度写し直すこそ宜<よ>けれと其事は何とも云ず、「唯今のは少し写し損じましたから今一度写<う>つしませうといふを兵卒達はどんな塩梅<あんばい>に写ツたか一寸<ちよツと>見せよと達<た>ツて望むに否み兼ね実は云々<これ/\>と写真を出して見せると兵卒達も不審に思ひ頻りに其写真を見詰めて居る中にも後から一人の兵卒は何か身に覚えの有ると見え深く愧<は>ぢたる顔付にて其まゝ立ち帰りしが<あと>にて聞けば同人は西南の役に鹿児島勢の夫卒<ぶそつ>〔従軍して雑役を行う者〕に出で多くの死骸を取扱ひし事あれば夫等<それら>の亡魂が顕れたのでは有るまいかと云ふ者も有る由夫より続いて三度まで写したが其後は更に異条〔異状〕なかりしとぞ〔/〕

右の一件が早くも近所の取沙汰となり、「幽霊の写真を見せて呉<くれ>とぞろ/\押懸け奪ひ取り合ツて見るうち種板に焼き附<つい>て有る薬を少しばかり剥<はが>幽霊の胸の処を少し消したが其外は依然として未<ま>だ其写真師の許に有<ある>といふ

読売新聞 1883(明治16)年3月29日(木)

« 怪談五軒長屋【1912.10.11 都】 | トップページ | 絞首台の跡【1912.11.7 都】 »