南方のある島で海岸の警戒に当たる歩哨の間で、夜の決まった時刻に軍旗を先頭に砂浜を通過する部隊がいるとの話が広まった。噂を聞いた司令官が部隊の墓標を立てて部下と黙祷すると、幽霊部隊は現れなくなった。
魂魄留まる英霊よ
正に見た『幻の進軍』
鉄と戦ふ南の血肉篇
【南方前線基地にて吉田一次海軍報道班員十五日発】 山本〔五十六(1884-1943)〕元帥は南の空に、アツツの将兵二千五百有余は北海の涯に闘魂の極致を遺憾なく発揮して散華<さんげ>された、現在、われ/\はこの方々の闘魂を承け継ぎ、戦場に、銃後に、天人共に許さぬ野望を遂げんとする米英を殲滅すべく、一億総進軍の真最中である、以下、南の決戦場に於て見聞した若干の事実をありのまゝにお伝へして、われ/\銃後の者の闘魂を愈々〔いよいよ〕固めるよすがとしよう。
分秒争ふ飛行場整備
南の決戦場では空中は勿論、地上においても連日連夜、血みどろの戦ひが行われてゐることは、すでにわれわれの知る通りである、わがジヤングル内の陣地を攻撃してくる米濠軍は、絶大の物質力を頼みとし、まづ空から無数の爆弾を投下して昼なほ暗いジヤングルを丸裸にする、次に常に必ず廿倍以上の兵力を以て極めて緻密な計画の下に徐々に近づいてくる、彼等の持てる兵器は世界最新である、わが果敢なる夜襲にあへば、悲鳴をあげて逃げ出す彼等、決して真<しん>底からの勇士ではない、夥しい鉄の量によつて物に物をいはさんとするに過ぎない、しかし皇軍勇士とて身は鉄石ではない、鉄に対するに血肉を以てするわが軍の筆舌につくせぬ労苦はこゝに始まるのである。爆撃にあへば、敵機を睨んで切歯扼腕するより外に仕方のない地上勤務員、日々、敵の盲爆のため、若干づつ戦友を失つてゆく地上整備員、彼等は敵の飛行場爆撃が済むや否や、飛行場の整理に忙殺されるのである、まづ爆弾による穴埋めをして友軍飛行機の着陸を可能にしなければならない、飛行場の穴埋めは分秒を争ふ、しかも附近には投下後五分か十分たつと、爆発する時限爆弾をばらまいてある、修理中にこれが爆発し、鉄片が雨と降る。一昼夜を経て爆発するしつこいのもある。
機体と取組む整備兵 南方戦線にて
古川特派員(海軍報道班員)撮影=海軍省許可済第三二号
無念隊長機離陸不能
爆撃隊は一分と間隔をおかず、次々と飛立つてゆく、その時突如、某隊長の一機は滑走路が将に尽きんとしてゐるのに、飛揚しない、「前方の海に突入か」、その機の機附整備兵は帽で目を覆つてしまつた、機は左に急旋回し、滑走路を外して急停止した、抱いてゐた爆弾がどうしたはずみか爆発した、機は炎炎と燃えてゐる、搭乗員は一人も出てこない、爆弾は次々と引火してゆく、隊長機を失つた他の編隊機は、炎上する隊長機の傍らを轟然たる音と共に逐次、離陸してゆく。依然、任務を続行せんがために……。五分とたたぬうちに機は火達磨となり、機銃弾が猛烈にはじけてゐる。われ/\は近づくこともどうすることも出来ない、上昇した爆撃機は編隊を組み、誰かの機が一番機となつて一路南を指してゆく、われわれは手に帽を持つたまゝ、上を見、下を見てゐるばかりである。
或る夜の歩哨報告
南方第一線の某島は、敵との距離が飛行機で僅か卅分である、前面には緑濃き大小の島々が点在し、瀬戸内海を偲ばす風景である、我々の踏む浜辺は、南海特有の眩ゆい陽光に輝く白砂である。
海岸に沿ふ一条の道路には歩哨が絶えず海面及び上空を警戒してゐる、歩哨の前方には白砂の浜に続いて紺碧の海がある、この浜に敵の屍やたまには友軍の屍が漂着する。
或る月のない夜十時から十二時まで、即ち横にねてゐた南十字星が真直に立つて本当の十字となるころ、勤務についてゐた歩哨が、交代してから衛兵司令の下士官に報告した。
「立哨中、異状なし、たゞ陸軍部隊の約一個小隊位が軍旗を先頭にして砂浜を通過したゞけであります」。
こんな時間に軍旗を捧持する小部隊の通過、奇怪極まる話である。
「おい、夢でも見たんではないか」。「間違ひありません、はつきりは見えませんでしたが、確かに軍旗を先頭にして砂をざく/\踏んで行く音が聞えました」。
すると、別の部隊もさういふ部隊を見たことがあるといひ出した、矢張り今夜のやうに闇の夜で、時刻も同じころであるといふ、衛兵司令は錯覚だらうと否定した、翌日、勤務があけてから同僚の下士官に右の話をした、誰も一笑に附してゐた。
しかるにその晩である、同じ時刻に歩哨に立つた他の兵が同様の報告をした、それも一人ではない、三人も確かにその姿を朧げながらも見たし、白砂を踏む音を聞いたと主張した、一同、水をかけられたやうにぞつとして押し黙つてしまつた、この噂はだん/\拡まり、司令官の耳に入つた、司令官は何もいはず、或る部隊名を書いた墓標を立て、部下一同と共に黙祷を捧げられた、われ/\は何だか判らなかつたが、黙祷した、それつきりこの幽霊部隊は出現しなくなつた、恐らくはこの島へ上陸作戦をやつた部隊か、またはこの海岸の沖合で憎いメリケン〔アメリカ人〕に撃沈された船に乗つてゐた部隊なのであらう、魂となつて進軍を続けてゐたのである、魂の進軍!それは北に南に続けられてゐることであらう。
半裸で飛立つ海鷲
敵は嘗て我が戦闘機をペーパー・プレーン、即ち紙の飛行機といつてゐた、これは彼等の間に恐怖心を起させぬためだつたかも知れない、今では同じ戦闘機をブラツク・モンスター、即ち黒い怪物といつてゐる、我が戦闘機を見た敵機は一定の間隔をあけて近づけまいと苦心惨憺してゐるやうである、敵が難攻不落と誇る「空の要塞」さへも烈々たる闘志に燃える我が戦闘機乗りの敵ではない、それは日本兵にして初めて行ひ得る体当りといふ奥の手があるからだ、但し、こゝに自爆一機といふ尊い犠牲が記録されることを忘れてはならない、暑い太陽は遠慮会釈なく照りつけ、機体に触れれば、火傷するかと思はれるばかり。赤白の吹流しは重くだらりと垂れてゐる、戦闘機操縦士は最高の能力を発揮せんがため、分秒と雖<いへど>も睡眠しておかうとする、ふき出る汗、某見張所からの報告、
「○時○分、○○の南方海上に敵三六機、○○を通過、北上せり」。
伝令が幕僚及び搭乗員に伝へる、敵は近い、さツと漲る殺気、がばとはね起きた搭乗員は片手に飛行帽、片手に上衣と拳銃を持ち、愛機の方へとまつしぐらに駈けてゆく、南を指して真一文字に全速をかけて滑走を始めた、機上に飛行帽は被つてゐたが、上半身は裸体のまゝだつた、今日もまた若桜は文字通り赤裸々の全身を敵にぶつけにゆくのだ。
羊羹は兵器でない
懐中電灯は一種の兵器であり、羊羹は菓子である、「現在、上陸した敵は必ず殲滅する、但し敵の後続部隊を遮断して貰ひたい」、この悲痛な電報を発したのは某島を守備する〔原文「すする」〕数十名の陸戦隊である、この外、弾薬を送れとも食糧を送れともいつてこない、飛電に接して既に三日、附近の友軍と遮断されてしまつた同島の陸戦隊に弾薬、食糧は最早ない筈である、強行補給を行ふべきである、しかし同島の四周には敵の艦隊が蟠踞し、絶えず敵機が哨戒してゐる、夜陰に乗じ、島に乗上げてしまふより外に手はない、船は使へなくなり、人は負傷するであらう、しかしこれ以外の方法はないのだ、遂に強行手段は決行された、友軍の危急を救ふ、誠に男子の本懐、弾薬の補給を受けた守備隊員は涙を流して喜んだ。届けられたものの中に丸い筒のやうなものがあつた、一同は懐中電灯かと思つて喜んだ、ところが、この懐中電灯にはスイッチを入れるボタンがない、淡い月光にすかしみれば、押出し式の羊羹であつた、守備隊員の手からこの羊羹がぼとりと落ちた。
羊羹はうまい、しかし兵器ではない。
友軍機来援に泣く
○○島の飛行場にはほんの少数の地上勤務員がゐるだけである、そこは敵と目と鼻の間にあつた、それに敵が連日連夜、爆撃にきた、木で飛行機を作つて飛行場に出しておくと、敵は「好餌御座んなれ」とばかりに猛爆をしたといふ、某月某日、我が航空隊の一部は夕闇を利用してこの飛行場に進出し、翌払暁、本隊と合して対岸の敵に猛攻を加へることになつた、この作戦は大成功であつた、敵の寝込みを襲つて艦船廿数隻を撃沈破し、基地を炎上した、先発した〔原文「炎上した先発した、」〕搭乗員の帰来談。
搭乗員の一番心配してゐた飛行場は連日連夜の爆撃にも拘らず、穴もなく、きちんと整備されてゐた、飛行機は無事着陸した、地上整備員及び守備隊員は飛行機の周囲にかけつけた、中には機体をさすつて泣いてゐる兵もある、彼等は数ケ月、友軍の飛行機をこの飛行場に迎へたことがないのだ、そして彼等の一人は泣きながら呟いた。「まだ日本にも飛行機があつたのか」。
参謀神色自若たり
艦爆、即ち艦載爆撃機を主体とする第○○航空戦隊のK航空参謀は絵筆をとれば、玄人はだしであり、戦況の苦しい時も微笑を浮べ、いかなる報告に接しても泰然としてゐる、スケッチ・ブックには仏桑華、飛行場、飛行士の顔、住民の姿態等が鉛筆で書いてある、参謀はこれに着色すべく、辷々しく筆を運んでゐる、爆撃の成果が編隊長機から無電で送られてくる、伝令が即刻、幕僚室に報告する。
その間、K参謀の手はばたりと止つてゐる、自爆か未帰還の機数が報告されると、参謀の絵筆はあらぬ所へ色を塗つてしまふ。仏桑華の花弁の赤色は、花弁を越えて画面一面に拡がる、飛行場は褐色一色になつたりする、かくてK参謀の絵が完成することは極めて稀となる。
参謀もまた人の子であり、親である、頃合を見ては飛行場へ若鷲を迎へにゆく、年の頃、廿二、三の若い編隊長たるS中尉が、戦果についても損害についても至極簡単に報告する、今日は未帰還が一機あつた、司令官も幕僚も押黙つたまゝ報告に基づいて何かを地図に書き込んでゐる、S中尉は我々の所へきた、ぽつりと一言、
「ひどい火の海だつたからなあ」。
敵の防禦砲火についていつた言葉だ、夕闇はだん/\濃くなつてゐる。
「あれは多分○○島に不時着してゐるだらう」。
夜間、敵潜水艦の巣となるといふ○○島、S中尉は還らぬ部下の鞄を手にしたまゝ身じろぎもしない、誰もかういふ時にいふ言葉はない。K参謀が明早朝、○○島へ救援にゆくことについて指令を与へてゐた、誰にともなく中尉は
「明日は火の海の下に出るぞ」
と唇を噛んでいつた、若々しい紅顔の両頬には、涙が筋をひいてゐた。
以上は前線において見聞したことどもをありのまゝにお伝へしたまでである、これによつて如何に考へ、如何に処理すべきかは各人各様のことである、現在、前線の闘魂と銃後の闘魂に径庭のあらう筈はない。
毎日新聞 1943(昭和18)年9月19日(日)