無縁仏が姿を現はす【1930.9.29夕 読売】
東京・京橋で地蔵を保管していた米屋の子どもが重病に。近くの洗い張り屋でも不幸が絶えないので、行者に見てもらうと、無縁仏に祟られていると言われた。そこで、近所の空き地に地蔵と水神石を祀る祠を建てると、そこに無縁仏が現れると噂が立ち、見物人が押しかけるようになった。
京橋〔東京都中央区〕の佃島渡しに近い舟松河岸<かし>に汐見神社と云ふ地蔵さまの祠が出来た、ところが、この地蔵さまに毎夜、無縁仏の姿が現れる……と云ふので、毎晩、大変な人だかりで馬鹿々々しい騒ぎをやつてゐる。
事の起りといふのは、同河岸一番地の米屋、中村鹿蔵方で震災〔関東大震災(1923)〕後、問題の地蔵さまを預つてゐたのだが、一ヶ月ほど前、突然、子供の豊(六ツ)が発熱して瀕死の状態に陥つたので、深川黒江町〔江東区〕のある女行者にみてもらつたところ、『それは地蔵さまのお祭りをしないから、無縁仏の祟りだ』といつたといふのと、今一つは船松町一の洗張屋、田中録吉方で妻君のよしが病弱な許<ばか>りか不幸が絶えないので、これ又行者に見せたところ、『床下に無縁仏の祟つてる水神石が埋つてゐるからだ』といはれ、サテこそかついで付近の人とも相談し、水神石とお地蔵さまを祭る事になつて十八日、空地に祠を建てたのだが、誰が言ひ出したのか、この祠に無縁仏の姿が現れるととんだグロ・ナンセンスを生んでしまつた。
昨夜、記者も人だかりの中に混ぢつて見てゐると、一人のお婆さんが、『ホーラ/\姿が見えるでせう』と『見える/\』の押売りをしてゐたが、記者の眼には一向、それらしいお姿は見えなかつた。