1930年代

話の港〔首相官邸日本間の修築案〕【1933.8.24 読売】

五・一五事件で犬養毅首相が横死した首相官邸日本間は事件後1年余りたっても誰も使わない。堀切善次郎内閣書記官長は洋間を新築、その上の2階に日本間を乗せる案を出したが、国費をかける理由がないと大蔵省に拒絶された。

話の港 ■…故犬養〔毅(1855-1932)〕首相が殃死を遂げた首相官邸の日本間、一ヶ年余<よ>を経過した昨今でも誰も使ふ人がなく昼なほ暗く鬼気迫る

堀切翰長

■…堀切〔善次郎(1884-1979)〕書記官長、いろ/\頭を悩ました末『あれを空<あき>部屋にして置くのはどう考へてももつたいない、床をコルク張りにして洋間にし、現在の日本間を二階にしてそのまゝ乗せて見たらどうだ』吾れながら名案と、この修築方<かた>を早速大蔵省営繕管財局へ持込んだ

■…ところが大蔵省頑として応じない『そんな理屈にならんことで国費はかけられません』と剣もホロヽ〔原文「ホロ/\」〕、堀切さんつく/\嘆じて『俺が元ならこんな修理なぞ立ち所だが、アヽ昔が懐かしい』註に曰く堀切さんは元復興局長官を勤めた身、そこでつい昔が恋しくなるわけ――

読売新聞 昭和8(1933)年8月24日・7面

首相官邸修祓式【1932.6.12夕 読売】

五・一五事件で犬養毅首相が殺害された首相官邸は、後任の斎藤実首相も気にしてか居住せず、自宅から通勤している。そこで、事件から1か月を機に官邸で修祓式を行った。

首相官邸
修 祓 式
兇変から一月目

◇去る五月十五日夕故犬養〔毅(1855-1932)〕首相が兇手に従容としてれて以来、かれこれ一ヶ月になるがこの五・一五事件のため血ぬられた官邸を斎藤〔実(1858-1936)〕現首相は気にしてか未だに四谷仲町〔東京都新宿区〕の自宅から出勤してゐるほどそのため宏壮な首相官邸には現に住む主がないわけで暴漢闖入当時の蹂躙の跡はそのまゝとなつてゐる、そこで十一日午前九時同官邸内の修祓式を行ふことになり、西野〔宮西惟助(1873-1939)の誤り〕日枝神社宮司以下の神官四名は村瀬〔直養(1891-1968)〕内閣官房会計課長、新居〔善太郎(1896-1984)〕首相秘書官等参列の下<もと>に厳そかに執行

◇まづ故首相が最後の息を引とつた奥庭に面した日本間十五畳に祭壇を設け

祭祀後血に汚された廊下から故首相が最初の一弾を受けた食堂田中巡査が射たれた室、総理大臣室、書記官長室等大ホールの隅隅まで修祓し十時終了したが

同官邸詰めの守衛、小使までが『これでやつと清浄な気になりました』と喜んでゐた【写真は修祓式】

読売新聞 昭和7(1932)年6月12日夕刊・2面

鶏のなき声で死体発見【1933.5.19 東京朝日】

東京・向島で職工が行方不明に。周辺住民の習慣で鶏をたらいに載せて北十間川を流し、鶏の鳴いた場所の川底を探すと、職工の死体を発見した。

鶏のなき声で死体発見

十八日午後二時頃、向島区〔現・東京都墨田区〕吾嬬町東洋モス工場前の北十間川から、去る十五日夜<よ>泥酔して墜落した同町東一ノ一〇七日東製氷職工樫野加藤治(四七)の溺死体を発見した、同人の家族は妻と二十歳になる息子、十六日から行方を捜索中だつたがどうもこの川筋が怪しいといふので河岸<し>に住む人達の習慣で十八日タラヒの中に鶏を一羽載せ、これを川に流して鶏のないた下に死体があるものと捜してゐると、丁度ないた下の川底から死体を発見したものである

東京朝日新聞 昭和8(1933)年5月19日・11面

『八幡の藪知らず』に入りたちまち気違ひとなる!【1930.9.20 読売】

神戸から来た男が千葉県八幡町の「八幡の藪知らず」に入り、竹を切って出て来ると、大声で訳の分からないことを叫んで暴れ出した。

『八幡の藪知らず』に入り
たちまち気違ひとなる!
昭和の世にテモ奇怪なグロ物語

【船橋電話】 水戸黄門記で馴染の深い例の千葉県八幡町〔現・市川市〕の竹藪『八幡の藪しらず』入<いり>込んで忽ち気違ひになつて仕舞つたと云ふグロテスクな物語――

▽……

主人公は神戸市菅原通り二ノ一四浅野銀二(四五)と云ふ男、十九日午後五時ごろ突然藪前の茶店に現れて『入らずの藪だなんてソンナ馬鹿/\しい事があるものか、俺が入<はい>つて見せてやる』と折柄<をりから>付近町民が『祟りが恐ろしいから止<や>めよ』と止<とゞ>めるのも聞かず、手斧を片手に七五三〔しめ〕縄を切って入<い>り込み十四五本の竹を斬って間もなく出て来たと思ひきや、急に頓狂な声を張り上げて『ヤイ誰だ、入らずの藪なんかへ入<はい>り込む奴は』と付近の田中勝次方へ駈け込み大声で訳のわからない事を呶鳴りながら暴れ出すと云ふ有様

読売新聞 昭和5(1930)年9月20日・7面

歩兵一連隊の稲荷祭り【1934.4.21夕 読売】

東京・赤坂歩兵第1連隊の営庭にある池は乾かすと神罰があるとされる。昨年に水を抜いて掃除すると、富士裾野で演習中の隊員が日射病に罹患。連隊では神意を鎮めるため、営庭内の稲荷神社の祭りを盛大に行った。


歩兵一連隊の
稲荷祭り
お赤飯に兵隊さん大喜び

□=そのむかし毛利公の屋敷であつた当時からいろ/\の伝説を秘めて赤坂歩兵第一連隊の営庭にある稲荷さまと厳島神社のお祭りを桜ざかりの廿日、兵隊さんの相撲や『さくら音頭』の余興つきで賑々しくやつた

□=このお宮の池は『神の水』と呼ばれて水を汲んだり渇かしたりすると必ず神罰があたる、昨年夏は池を乾して掃除をしたところがたちまち富士裾野の日射病騒ぎ〔1933年7月裾野で演習中の第一連隊で日射病が発生、8名の死者が出た〕を惹き起した、それ神罰だとばかり恐れをなした連隊では早速鯉をはなして神意を鎮めたといふ歴史つき―

□=で、今年は特に武運長久を祈つて盛大にやらうといふところから兵隊さんは調練を休んでお赤飯に頭<かしら>つきの御馳走、営門は午後一時から四時まで開けツ放し、市民にも景気よくお賽銭を投げてもらつたが兵隊さんたち、ちよつとお宮を拝んでは桜を仰いで『毎日お祭りをやつてもらひてえ』【写真はお祭り】

読売新聞 昭和9(1934)年4月21日夕刊・2面

猟奇時代???【1930.12.2 中外商業新報】

帝大病院に入院した浜口雄幸首相を護衛する警察官が毎晩深夜に宿直室でうなされる。うなされた警官は皆同じ寝台で寝ていると、真夜中に胸元を押さえつけられるような苦しみを感じたという。

猟-奇-時-代???
夜な/\帝大病院に
幽霊が出るといふ話
浜口首相警衛の豪傑連が
悩まされる薄気味悪い寝台

警察官のなかでも柔道何段、剣道何段といふ豪傑がところもあらうに帝大病院〔現・東京大学医学部附属病院〕―しかも浜口〔雄幸(1870-1931)。この年11月に狙撃された〕首相を警衛の宿直室で夜な/\化け物に悩まされるといふ昭和聖代に薄気味の悪い妖怪奇談……

その室<しつ>は島薗内科の六号室で、警官連が三名ぐらゐづゝ泊り込んでゐるのであるが、先月廿六日、棟木も三寸下がつて草木も眠る丑満つ時―などゝいふと、それこそ本たうの怪談もどきだが、やはり時刻はお定まりの真夜中二時ごろ、横山柔道三段がいかにも物の化<け>につかれたやうな苦しい声を出して呻りはじめたので、同僚が眠りをさまして揺り起すと、横山氏はグツシヨリ冷汗をかいて「あゝ恐ろしかつた!」といふ、訳をたづねると「……いや何んでもないが、胸元を押へつけられるやうに苦しかつた」とのこと、一同もそれなりに、その夜は別に問題にもしなかつた

ところが翌日の同時刻になると、宅間剣道初段が、同じやうに呻される、そのまた翌晩には、神戸柔道三段、更に次ぎの晩は高見柔道三段、それから卅日の夜は宮崎高等主任といふやうに、毎晩、いづれも卅分間ぐらゐ呻されたのであつた、これにはさすがの豪傑連も少々恐れをなし、互に体験談をやつて化け物の正体を突き留やうといふと、いひ合したやうに、三台ある寝台の右の端のに寝たものに限つて、夜中の二時から三時までの間に、廊下をバタ/\としかも力なく歩くスリツパの音がきこゑ、それと同時に胸元を圧えつけられるやうな苦しみを感じるのだといふ

そこで豪傑連、このまゝ引込んでは我れ/\の名折れ何んでも化け物の正体を見届けなければならぬとあつて、一日の夜は本富士署に一同額を集めて、化け物退治の評定を行つた――ても怪しやな?化け物の正体は何?

中外商業新報 昭和5(1930)年12月2日・7面

道玄坂の『人殺しの松』【1930.11.6夕 東京朝日】

大正末、東京・渋谷道玄坂下の松の木の枝を地主が伐ると、家族数名が病死、「人殺しの松」と恐れられようになった。今回、区画整理のため、木を伐採ないし移転する案が出たが、周辺住民が反対。東京府が住民に下付したところ、松の木は「出世の松」に改名され、参詣人で大盛況になった。

道玄坂の『人殺しの松』
おゝ怖や!触れると熱が出る

昭和の聖代にこれは又一つの変つた迷信話――場所は渋谷道玄坂の目抜きの大通りと拡張された宇田川通りとの分点の真ン中にヌツと立つ囲り四尺〔約1.2メートル〕たらず高さ三十余尺〔9-10メートル程度〕のたゞ一本の松の木がそれである

この松が何時頃からあるのかハツキリわからないが古い事は古く、昔は物見の松といつて、兇刃に倒れた不遇な死者をその根本に埋めたのださうだが、これも確かでない

確なことゝいへば、大正十五年頃、永田某といふ土地の地主が二十余軒の借家<しやくか>を新設するのに邪魔だとあつて、一枝バラリと切り落したところ、その夜<よ>から熱病にうなされ間もなく一家数名バタ/\死んでしまつたさうだ

『ナーニ迷信だよ偶然のことさそんな馬鹿げた因果があらうはずはないさ』

と馬鹿にしてかゝつた連中が、木に登つたり小便をしかけたりするとそれが皆てき面に熱をだしたりするといふ訳で町民は『人殺しの松』だの『竜神の松』と名づけて近寄らないやうにした

ところが今度区画整理で今まで家の裏にあつたこの松が道の真中にはみ出てしまつたので、どうでも切りとるか移転しなければならない、しかし府としても町民から無気味にも恐ろしい数々の事実を挙げてどうか切りとらないでくれと歎願されてみるとふりあげた手をおろされぬ始末

しかもこの間<かん>更にとび頭<かしら>が病む小便居士が転がる、木登りが腰をぬかす、付近の大和田小学校では先生が児童を集めて『決してあの木に近づいてはいけません』と訓話するといふ始末

結局府でも処置に困り十一月二日付で町民に下付してしまつたがこの日をもつて『人殺しの松』は一躍『出世の松』と名も改められ、木の根には立札が立つ、三宝には秋の実りがそなへられて善男善女が参詣するといふ大盛況に早変り

東京朝日新聞 昭和5(1930)年11月6日夕刊・2面

〔千駄ヶ谷署で毎夜うめき声〕【1930.2.3 東京日日】

女学生殺しを捜査中の巡査が自殺し、疑惑を呼んでいる千駄ヶ谷署で、巡査が自殺した場所から毎夜のようにうめき声が聞こえるとの噂が立った。署員は噂を否定している。

女学生殺しに続く石川巡査の縊死で問題の千駄ヶ谷署〔前年暮に千駄ヶ谷駅付近で女学生の扼殺死体が発見され、事件の捜査に加わっていた千駄ヶ谷署の警官が署内の演武場で自殺。女学生を殺したのは自殺した警官ではとの疑惑が当時、取り沙汰された〕、その後<ご>いろ/\な投書が舞ひ込んで来る、中には「石川の亡霊より」なんて悪くいたづらなのがある

×    ×

その千駄ヶ谷署は例の演武場付近から毎夜のやうにしかも石川巡査の縊死した十時頃うめき声が聞えて来るといふ噂がぱつと立つた、演武場裏手官舎に住んでゐる女連<れん>こはがるまい事か、夕方になると外出もしない

×    ×

署員に聞くと、なあに近所のむく犬がいびきをかくのだらうと平気なやうな話だが内心はビク/\

東京日日新聞 1930(昭和5)年2月3日(月)11面 (「雑記帳」より)

円タクが幽霊を乗せた話【1932.10.3 報知】

東京・青山墓地付近でタクシーが若い女性客を拾った。目的地に着いて客が料金を払わず家の中に消えたので、家族を呼び出すと、今日が1周忌になる死んだ娘が帰って来たのだろうと言われた。

◇円タク〔タクシー〕が幽霊を乗せた話―向島区〔現・東京都墨田区〕業平町五八飯山安五郎方自動車運転手横尾政一(二三)が、数日前<ぜん>雨のしよぼ/\降る深夜青山墓地附近を流してゐる中二十二三歳位の美しい娘を下谷〔台東区〕まで五十銭の約束で乗せた、同区谷中町二七地先の門構への家の前で『こゝが私の家です』と自動車から降りた、女は料金も払はずにスーツと門内に消えた

◇運転手は玄関へ家人を呼び出し娘さんを乗せて来た話しをして料金を請求すると『私の家には娘はありません、死んだ娘のけふが一周忌に当るので供養してゐるところです、では仏が帰つて来たのでせう』と料金を一円くれたが、運転手も気味が悪くなつて交番にかけ込んでその事を訴へた……ウソのやうな事実談です

報知新聞 1932(昭和7)年10月3日(月)7面 (「きのふけふ」より)

延命地蔵さん引越がお嫌ひ【1936.10.22 東京朝日】

東京・阿佐ヶ谷の青梅街道沿いにある延命地蔵は道路拡張によりどこかへ移転しなければならなくなった。しかし10数年前、地蔵をよそへ移したところ、付近に病人が続出したと伝えられており、地蔵を移そうと言う者が誰も出てこない。

延命地蔵さん
引越がお嫌ひ
道路拡張に一悩み

道路拡張の犠牲となり安住の地に悩む可哀さうなお地蔵様――青バス阿佐ケ谷停留場脇の『延命地蔵』が阿佐ケ谷村〔現・東京都杉並区〕の頃から同所にあつて青梅街道を通る人達の信仰を集めてゐるが

文字通 り杉並木の青梅街道も何時かアスフアルト道路となり、最近二十五メートル道路の建設工事も進んで、お地蔵様の脇まで道幅もすつかり取拡げられた、そして来春早々までに付近の家屋と共に地蔵様も何処かへ引越ししなければならない

ところ が十数年前同所の地主さんが同地蔵を他所<よそ>へ移した所覿面に地主の身内と町内に病人が続出したといふ怖い話が伝へられてゐるので地元の地蔵講も地主さんも進んでこのお地蔵様を移さうとはいひ出さずこの所、延命地蔵よ、どこへ行く?といつた形だ【写真は同地蔵】

東京朝日新聞 1936(昭和11)年10月22日(木)12面

より以前の記事一覧