1910年代

夢枕に起つ遊女の亡霊【1917.11.15 読売】

東京・洲崎の遊郭で職人の男が硫酸を飲んで自殺を図った。男は8年前に遊女を殺して実刑を受けたが、恩赦により出獄。再び遊郭に通い出したところ、殺した遊女の亡霊が毎晩夢枕に立ち、精神に異状を呈していた。

●夢枕に起<た>つ遊女の亡霊
◇娼妓殺し悶絶し劇薬を仰ぐ

十四日午後一時頃洲崎弁天町〔東京都江東区〕一の一〇貸座敷第一喜多川楼の娼妓小よし(二二)の四畳半の居間にて、去<さる>十二日より流連<ゐつゞけ>中の馴染<なじみ>客なる本所区〔現・墨田区〕松井町三の一〇張物業関口松次郎方職人松本寅治(二八)が

△職業用硫酸を 服用し苦悶し居<ゐ>るを小よしが発見し声を立てんとするや、同人を突退<つきの>けて戸外へ飛出せし処へ洲崎署の刑事が通り合せ抱き止め本署へ連行き手当を加ヘ一命を取止めたるが、同人は八年前<ぜん>同遊廓千代本楼(今は無し)の娼妓松ヶ枝事梅村春野(二〇)に馴染を重ね、不義理の借財が嵩<かさ>みて

△春野に情死を 勧めしも刎<はね>付けられしより、立腹して硫酸を頭上より浴せ尚出刃庖丁にて斬り付け即死せしめし廉<かど>により七年の処刑を受けしが、恩典により出獄後前記関口方に住込み実直に勤め居<を>りしが、何時か小よし及び同廓明治楼の娼妓一本<ひともと>二二)に迷ひまたも負債を重ねし上、去月頃より

△松ケ枝の亡霊 毎夜<まいよ>の如く夢枕に立ち碌々安眠も出来ぬ処より多少精神に異状を呈し<くだん>の所業に及びしものなりと

読売新聞 大正6(1917)年11月15日・5面

京浜電車と狸の怪【1910.6.16 東京朝日】

京浜電車が新子安・生麦間を疾走中、そこにあるはずのない信号が赤くともったので、急停車した。同じ場所で数年前に得体の知れない赤色信号が現れて衝突事故が起きており、今回も付近に棲む同じタヌキのいたずらとされた。

京浜電車と狸の怪

一昨夜十一時半川崎停留場を発せる京浜電車が今しも新子安〔横浜市〕と生麦との間を驀然<まつしぐら>に疾走中忽ち前方に当つて赤色信号灯現れ危険を報ずるにぞ運転手は怪しみながらも急ぎ停車せし折柄<をりがら>併行せる彼方の線路を東海道行列車が轟然たる響を残して通過すと見る間に先の赤灯は忽然として影を失ひたる為<た>電車は無事神奈川に着せるが数年前<すねんぜん>にも為体<ゐたい>の知れぬ赤色信号が今回と殆んど同一場所に現れし為に後方より疾走し来れる電車が前方に停留中の電車に衝突し意外の惨禍を生じたる事あり当時右の怪灯は附近に棲<す>める狸の所為と判明せる事あり今回も恐らく同一狸の悪戯<いたずら>ならんと評定一決し近く之<これ>が退治を試むる筈なりと云ふ

東京朝日新聞 明治43(1910)年6月16日・5面

古狐の幻術破る【1911.8.31 大阪毎日】

東海道線馬場駅を出た列車が石山駅に向かう途中、古狐を轢いた。機関手の話では、狐を轢いた現場近くに突然、多数の電灯と待合客が見えた。駅に着くには早いと思い、進行を続けたら、謎の現象は消えた。狐がいたずらしたところを轢かれたのだろうという。

●古狐幻術破
真二つになつて轢死と真顔で語る運転手

二十七日午後十一時東海道線馬場駅〔現・膳所駅〕草津行列車の通過せる後<のち>石山駅の線路工夫が膳所町〔現・滋賀県大津市〕大字別保西念寺裏の軌道を巡廻中体格すぐれて偉大なる茶褐色の野狐が二つに轢<ひき>切られて死し居るを発見し石山駅に馳<はせ>帰り更に駅夫と同道にて現場に赴き<くだん>の狐を運び帰りしが或る野狐通は少なくも三百年以上を経たる古狐なるべしと評せる由にて目下大評判なるが前記列車に乗組み居たる機関手の直話<ぢきわ>によれば同列車が馬場駅を発して現場に近くまで進行したるに忽然行手<ゆくて>に近く多数の電灯を点じ昼を欺くばかりの石山停車場に男女数百名の待合客<まちあひかく>が混み合ひ居<を>る模様瞭然<あり/\>と見えたるより、「コハ何故ならんと不審を起し時計を見れば石山駅に着く時間には尚間もあるにぞ、「サテは自分の眼がドウかして居<ゐ>るのであらうと委細構はず進行を続けたるに件の現象は掻<かき>消され真の石山駅の電灯が遥か彼方に明滅せるにぞ火夫共々不審の眉を顰めつゝも予定の時間に石山駅に着し一名の乗客<ぜうかく>を乗せて草津駅に向ひしが、「さては件の野狐が悪戯を仕損じたるならんと真顔で語りしとは眉に唾の物語りなり

大阪毎日新聞 明治44(1911)年8月31日・9面

怪談化髑髏【1912.7.25 東京朝日】

東京・渋谷に住む農学生が知人と小名木川に釣りに行き、どくろを拾って帰った。その夜、どくろを置いた玄関で突然、物音がし、女中がうわごとを言い出した。気味悪くなった農学生は知人にどくろを拾った場所に捨てさせたが、女中のうわごとは悪化し、僧侶の祈祷を受けた。

●怪談化髑髏
――釣の帰りに拾つたのが――
――夜中になると唸り出し――
――遂に殺人の嫌疑を受く――

府下豊多摩郡渋谷町〔現・東京都渋谷区〕字宮益町建築請負業相沢栄吉(二十八)なる者本月初旬より首切り犯人嫌疑者として三度<たび>浅草、新宿、白金の三警察署に引致せられ取調べの結果<いづ>れも無罪と判明して放免せられたるがその事件の

▲内容を聞くに  栄吉は昨年四月十四日平素出入先なる同郡中渋谷五〇三藤川碧根<いはね>二十二)と云へる農学生と共に釣りに行きたる際南葛飾郡中川番所〔江東区〕脇の蘆の中より一個の髑髏<どくろ>を発見し碧根に如何なる心ありてか物好きにも其髑髏を風呂敷に包みて持ち帰りたり、然る<しか>に当時碧根方に雇はれ居たる牛込区〔新宿区〕原町三の一五入江たか方杉山ふさ(六十)は碧根の持帰りたる件<くだん>の風呂敷包を見て不審を起し、「髑髏ならんと尋ねたるも碧根は其様なものではないと其場を胡魔化して玄関に転がし置きたるが同夜十二時頃玄関に当り突然

▲異様の物音起  ると同時に前記おふさが女中部屋にて囈語<うわこと>を云ひ出したれば碧根と栄吉は薄気味悪くなり<よ>の明くるを待ちて翌十五日青山北町五丁目〔港区〕の善行寺〔善光寺の誤りか〕へ前記の髑髏を持ち行き埋葬を頼みたるも、「警察の許可なくては埋葬せぬと断られ碧根は今更髑髏を持て余し遂に栄吉をして再び現場<げんぢやう>に捨てしめたりされど<そ>れより後<のち>おふさの囈語は益々甚だしきより碧根は遂に同人を解雇せしかばおふさは詮方なく諸所に奉公先を求めしも囈語の為<た>め解雇され苦し紛れに牛込区原町三の三十三天台宗僧侶小谷教心に祈祷を受けたる事が図らず警察署の耳に入<い>りて右の嫌疑を蒙るに至りしなりと

東京朝日新聞 明治45(1912)年7月25日・5面

幽霊の映れる珍写真【1912.10.25 東京毎夕】

僧侶の後ろに幽霊が写った写真がある。持ち主によると、写真は横浜で撮影されたもの。僧侶は元紀州藩士の商人で、不義の疑いから無実の妾を斬殺、それを後悔して出家したという。

◎幽霊の映れる珍写真
丸山作楽=吉村春樹=宮地厳夫=物集<もづめ>高見

幽霊が歴々<あり/\>と写真に映写されたといふ珍聞を耳にしたので記者は真偽を慥<たしか>む可<べ>深川区〔現・東京都江東区〕西大工町天地大教院前羽清観氏を訪ふ氏は其写真の持主で其伝説に就いて頗る神秘的の話をされた

怪又怪 無形の幽霊が写真に映ずるといふことが既に奇怪なる上に<こ>んな例は随分無いでもない<そ>れは従来写真の種板が甚<はな>はだ乏しかつた時代一旦写した種板を洗滌〔洗浄〕して撮影を試みた場合に什麼<どう>かすると前の真影が幾分朦朧と残つてゐて夫れが写るといふのであるが此写真は其<そ>うでないから最も刮目せねばならぬ怪の怪といはねばならぬ

写真の伝来 此写真は有名な国学家故丸山作楽〔(1840-99)〕氏から神宮奉斎会伊勢度会<わたらひ>本部長吉村春樹〔(1842-?)〕氏の手に移り夫から宮内省勤務の宮地厳夫〔(1846-1918)〕氏の手を経て物集〔高見(1847-1928)〕博士の考見を経たものである吉村氏の手に移つた時にも種々原因を調<し>らべて科学的考証を凝らしたけれど什麼も得<う>る所がなかつた唯不思議とのみ今に何等<なんら>明瞭の解決を得ない撮影した写真師は横浜伊勢山の三田弥一といふ男で写真中の僧侶は今は高野山にゐる木本朴堂といふ男ださうな

妾の姦通 この木本は素<もと>紀州藩の馬廻役であつた所が維新後商に帰し財産も可成りあつて何不足なく暮らしてゐた妻をお清といひ妾をお初といつて家内に風波もなく納まつて〔収まって〕行く中<うち>不図<ふと>お初が馬丁の何某と不義の契りを結むだといふことを讒言したものがあつたので木本は非常に立腹し充分の調べもせず或晩泥酔の上秘蔵の一刀<た>しか兼光とかいつたソレデ一太刀お初した<ゑひ>が醒めて調べてみると全然お初の姦通は跡方〔跡形〕もない話だといふことが判つたので非常に後悔をして出家遁世を志し菩提を弔ふ為<た>め高野山に上<のぼ>頭を丸めて僧籍に投じ其後<そのご>程ヶ谷〔保土ヶ谷〕の天徳院へ来た折前記の三田で撮影したのが此写真であると前羽氏は語つてゐた何と天下の大珍事ではないか

東京毎夕新聞 1912(大正1)年10月25日(金)2面

お岩様の墓の移転【1910.6.27 読売】

四谷怪談で有名なお岩の墓は四谷の寺にあったが、寺ごと巣鴨に移転した。その際、お岩の墓を掘り起こそうとした土工が卒倒している。

お岩様移転 四谷怪談で名高い田宮お岩の墓は四谷鮫ケ橋〔鮫河橋〕南町〔東京都新宿区〕日蓮宗妙行寺に在るが例の墓地移転にて同寺は府下巣鴨〔豊島区〕庚申塚の奥の畑地に引移り他の墓は既に悉く新寺<しんでら>に運ばれたるも最初お岩の子孫なりといふ京橋越前堀〔中央区〕田宮房子の承諾を得て発堀〔発掘〕に着手したる時土工の一人が卒倒したるより誰も手を出す者なく一番跡迄取残されたるが寺僧は人足共を励まして漸く改葬を了<を>へたり〔/〕

墓は三尺石に畳み上げ中央に五重塔形の墓碑を建て前に田宮家累代の墓碑七基を置き以前に比して立派に出来上りたり

読売新聞 1910(明治43)年6月27日(月)3面

老婆死霊に取附かる【1910.7.10 東京日日】

東京・両国橋付近から投身した老婆が救助された。警察の調べに対し、老婆は川の中から2人の女に手招きされたと回答。現場は2年前に女2人の死体が漂着して以来、たびたび死体が発見されており、死霊の仕業と噂されている。

老婆死霊取附かる
女二人の怨霊が残る

八日夜<よ>十時半頃本所区〔現・東京都墨田区〕元町両国橋際共同便所の傍より一人<にん>の老婆が投身したるが<たちま>ち大声を揚げて救を求むるより<たゞち>に引上げ本所署へ連れ行き取調べたるに此老婆は浅草区〔現・台東区〕千束町皮職藤本由蔵の母お幾(八十五)と云ひ同夜八時頃入浴せんと自宅を出でし儘万世橋際迄ふら/\と迷ひ来りしに〔原文「来<きた>たりしに」〕急に此世が厭になり思案し乍<なが>ら両国橋まで辿り来り前記の場所に佇み居たるに二人の若き女が河の中<うち>に現はれ頻りに手招ぎするより何心なく近寄らんとして河中へ陥り始めて〔初めて〕気が附き救を求めたるなりと申立<まをしたて>て直に浅草署へ照会せしも千束町には前記藤本なる者無しとのことに目下同署にて保護中なるが老婆の投身したる場所は一昨年八月中女同士抱<いだ>き合ひて投身したる死体が漂着せし場所にて是迄同所に死体の漂着する事度々なれば、「必定死霊の所為ならんと担ぎ連は大評判を為し居れりと

東京日日新聞 1910(明治43)年7月10日(日)

六年前の予言適中す【1912.6.6 読売】

タイタニック号と共に大西洋に沈んだイギリスの評論家は6年前、フランスの予言者から6年以内に海上で死ぬと言われており、予言どおりの最期を迎えた。

六年前の予言適中す
▲ステツド氏の水難

太西洋〔大西洋〕上に於てタイタニツク号〔この年4月に沈没した英国の客船〕と悲運を共にせし数ある人の中に英国評論の評論雑誌持主ステツド〔William Thomas Stead (1849-1912)〕氏に関して不思議の話しあり〔/〕

氏が今を去る六年前<ぜん>仏国に遊びし時同国有名の予言者なるデベス夫人〔Madame de Thèbes (1845-1916)〕に邂逅せし時夫人は御身は今後六年の間に不幸にも海上にて死する運命を有すと語りたりされどステツド氏は左のみ心にもかけず其後デ夫人にも数回会合せしかど何時<いつ>も物笑ひの種となりて分れ〔別れ〕たるが不思議にも六年目の本年遂に予言に適中するの不幸に際会したり〔/〕

而して尚夫人は本年は海上に事変の多き年なり海の東西を問はず今後も悲惨なる出来事は必<かな>らず繰り返さるゝならん<そ>れは来年の三月廿一日迄継続すと云へりといふ而して夫人は来年三月廿一日以後は何人より如何なる報酬にて予言を求めらるゝも一切口外せずと語り居れりと

読売新聞 1912(明治45)年6月6日(木)

内幸町の物の怪【1912.12.6 万朝報】

東京・内幸町に物の怪がいるので、住み手が永続きしないと噂の家がある。今の住民も恐ろしい目に遭い、犬を飼ったところ、家に物の怪は出なくなった。しかし今度は夜に付近の家々の戸が叩かれるようになった。

内幸町の物の怪  麹町区〔現・東京都千代田区〕内幸町一の五旭旅館の筋向ひ加藤信次郎方を中心に毎夜物の怪がある、といふ噂<うは>さが高い、此<の>加藤の住んでる家は前から怪しい事があつたとやらで住む者も住む者も永くはゐない、其れは毎夜丑満頃になると何処<どこ>からともなく恐ろしい坊主が現はれて家人を脅<おびや>かすのだといふ、〔/〕

加藤は本年一月其れとも知らず引移つて来たのだが<おそ>ろしい目に度々逢つたので六月中犬を飼つた、不思議やそれから同家へは出ない、と同時に今度は附近の家が毎夜々々表戸をコン/\と叩かれる、それが如何にも気味悪いので眠れぬ夜半が多いといふ、〔/〕

此附近は数年前<すねんぜん>迄古狸や古狐が棲んでゐたから物の怪はそれだらう、と知つた振りする者もある、附近の岩見重太郎連〔武芸者・岩見重太郎(?-1615?)を気取る人々〕申合せ人の悪戯<いたづら>か、魔性の物か、いで正体を見現はさうと敦圉<いきま>いてゐるとやら

万朝報 1912(大正1)年12月6日(金)

小倉沖の怪火【1913.1.16 都】

福岡県小倉沖に毎晩怪火が見えると山口県下で評判になっている。原因は溶鉱炉の火、佐々木巌流の怨霊、リン酸と諸説あるものの、不明。

●小倉沖の怪火<あやしび>  去る七日以降毎夕七時頃より未明にかけて福岡県小倉〔北九州市小倉北区〕方面より一団の大怪火<くわいくわ>顕はれてフラ/\と東西に浮動し間もなく煙<けむ>の如く消滅するを山口県山口町〔現・山口市〕附近及び厚狭郡<あつさごほり>宇部村〔現・宇部市〕方面より望見し得<う>べく山口県庁雇員及<および>宇部警察署員も之<これ>を実見したるが、「製鉄所の溶鉱炉の火煙ならんと云ひ、「厳流島〔巌流島。下関市の船島〕取除<とりよ>け工事の為<た>佐々木厳流〔巌流、通称・小次郎(?‐1612)〕の怨霊ならんと担ぐ老人あり、「気候上の関係より燐酸の燃焼するものなりとも云ひ浮説紛々兎も角山口県下を通じて専ら話の種となり毎夜望遠鏡を取出して騒ぐ者多きが正体不明

都新聞 1913(大正2)年1月16日(木)

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