大嘘吐の拘引【1909.8.28 大阪朝日】
9月28日に灰が降り、世界が終わるとの風聞が大阪・九条界隈に広まり、騒ぎになっている。警察は大道で世界滅亡を説く浮浪者を引致、取り調べたが、噂の出所は白状しなかった。
「今<こん>二十八日が世界の終りなり、天上より夥しき灰降りて人間皆、忽ちに死ぬること、昔、弘法大師様がチヤンと見抜いて云ひ遺されし通りなれば、人々、其の覚悟あつて然るべし」と誰<た>れいふとなく、市中一般に布<ふ>れ廻りたり。迷信家連中、斯くと聞いて喫驚<びつくり>し、何れも夫<そ>れ/\厄払ひの呪ひ、祈祷に余念なき様子は阿呆らしくて話にもならぬ次第なるが、中にも九条〔大阪市〕界隈は其の騒ぎ最も甚だしく、二十七日となりては「いよいよ今日一日の寿命なり。金も道具も要るものか」と隣近所誘ひ合して料理屋へ上り、鱈腹<たらふく>飲食するものもあれば、「モウ商売する気にもならぬ」とて「今日<こんにち>より休業」の貼札する向きも沢山あり、此の暑さに有りだけの衣類を重ねて苦しみながら「之<これ>が現世<このよ>の着納めぢや」と渋面<じふめん>作るもあるかと思ふと、小料理屋では「おまじなひの粥」といふ看板出して白米に榧<かや>、小豆を交ぜた粥を丼一ぱい十二銭で販売するを「セメテもの頼みに」とて食べてゐる者もあり、松島の天満宮お旅所をはじめ、九条茨住吉神社境内の如き二十六日の夜<よ>よりお百度参りの男女、引きも切らず、界隈何となくザハ/\と物騒がし、〔/〕
されば、九条署は手を尽して説諭に努めゐたるが、茲<こゝ>に一人の怪しき男が同町繁栄座附近の道路に立ち、世界滅亡灰降りの一件を真実<まこと>しやかに披露してゐる由、聞えたれば、二十六日の夕方より徹夜して張込みゐたれど、早くも悟つて姿を見せざりしより、尚も捜査中、二十七日の朝七時頃、同町二番道路にて洗ひ晒しの浴衣がけに頬髯を蓬々<ばう/\>と生やしたる物凄き男、大道の中央に立ちはだかり、「皆さん、世界の果はいよいよ来ました。吾輩の生命<いのち>はモウ十五、六時間に迫りました、有りだけの金は今日<けふ>中に使ひなされ」と演説してゐるを多数の男女が取囲んで感心し、「えらいこツちや」、「情ないこツちや」と騒ぎゐるを同署の堀警部が発見し、「憎<につく>き奴め」と引捕へて本署へ引致し、厳重に取調べたるに、此奴<こやつ>は日頃、南区日本橋筋五丁目辺をうろつきゐる浮浪人にて大山五郎(四十年)といひ、「今日はじめて世界滅亡の事を聞き、人民の為<ため>捨て置き難しと心得たれば、即ち市内の各所に出張し、演説したる次第なり」と左<さ>も豪<えら>相に陳述し、警部は其の説の出所を厳しく訊問したれど、容易に実を吐かねば、尚取調中なるが、多分此奴は大嘘を吐き歩いたる廉により警察犯処罰令に則り、三十日以下の拘留、又は二十円未満の科料に処せらるべし。〔/〕
尚今日<こんにち>以後、又々期日を延期して大嘘を吹き立て、人心を惑乱せんとする馬鹿者あるに相違なければ、同署にては昼夜警戒し、苟<かりそ>めにもかゝる妖言を吐<は>きて愚民を惑はす者は見附け次第、厳罰に処する方針なりとぞ。