1890年代

美人の生埋【1893.7.30 読売】

アメリカに新妻を亡くした男がいた。ある夜、男の夢に亡妻が現れ、夫の友人に生きたまま埋葬されたと告げた。翌朝、妻の墓をあばくと、棺を中から必死に開けようとした形跡があり、生き埋めにされたことは明らかだった。

●美人の生埋  今は昔にもあらずつひ此頃の事にて亜米利加<あめりか>にチヤーレスバウワー〔Charles Boger〕となん呼べる若き男住みけりこの男ひとゝせ前に日頃恋ひしたひける艶女<たをやめ>と浅からぬ契<ちぎり>を結びやう/\父母<ちゝはゝ>に請ふて晴の夫婦となり、「死なば諸共と誓ひしことも仇<あだ>となりまだ九ケ月も経つや経たぬ中<うち>妻は可愛<いとをし>の夫を残してあらぬ世の旅人となりければ夫の歎きやる方なく花鳥の音色も面白からず仇に月日を過しけるが夢現<ゆめうつゝ>にも亡妻<なきつま>の面影身に添ひて日夜心を悩ます余り果ては気狂ひ心乱れて浅間<あさま>しき振舞をぞしける或る夜<よ>のこと枕辺に悲しげなる女の声するに不図<ふと>目を醒<さま>せば亡妻の姿悄然と打しほれ物言はまほしき風情を怪しみて其の意を問へば、「御身の友達は情なき人々かな<わ>れ此世には何<いか>なる罪業ありてかまだ生<しやう>あるもの<あはれ>とも思はず闇路の人となしけるよこれを知り給ぬは返す/゛\も怨めしき御身の心かなとて打歎く夫は呆れて<そ>はいかなる故ぞと問ふまもあらず亡霊の姿は消えて夢は醒めけり〔/〕

男はつく/゛\と我が妻の亡くなりて友達の手に葬られける次第を思へば今のはよしや夢なりとも正しく神の告ならんと一心に思ひ込み夜の明くるを待<まち>もあへず飛起きて人々を集<つど>其の由をかたりて亡妻の墓を掘<あば>きければ<ひつぎ>の中<なか>なる鏡は粉微塵に打砕かれ蓋も片々<ばら/\>となり足は多く筋々を砕きて手はおどろに振乱せる髪をしつかと攫<つか>み居たる様浅間しといふも愚かなり、男はみてこれぞ確かに生きながら埋められける証拠なり昨夜<ゆふべ>の夢は夢ならず神の御告<みつげ>の有りしこそ嬉しけれと涙片手に妻の亡骸<なきがら>を改葬して香花<かうはな>を手向<たむ>、「心安かれ我が妻アーメン/\と礼拝して家に帰りければこの男其の日より心も清々<すが/\>と気も安らかになりけるとかいと怪しくもまた無惨なる話なり

読売新聞 明治26(1893)年7月30日・3面

 

夢によつて危難を免かる【1895.10.24 読売】

霧島山に旅行した鹿児島の呉服商が夢で亡父に似た老人から速やかな帰宅を勧められた。翌朝、呉服商が帰途に就いた後、霧島山が噴火。呉服商は父が危険から守ってくれたと感激した。

●夢によつて危難を免かる

<さる>十六日日向〔宮崎県〕なる霧島山噴火の際登山者の一人<いちにん>にて鹿児島市中町呉服店の主人藤安仲之助といふが霊夢の為危難を免かれたる話を聞くに同人は兼て霧島神社〔霧島神宮〕の参詣旁々<かた/゛\>保養の為此の程より霧島嶽の温泉場に逗留中去る十五日の夜<よ>は昼の入浴<ゆあみ>の疲れを催ほし何時<いつ>ともなく寝床<ふしど>に就きしに夜半と覚しき〔思しき〕我が亡親<なきおや>の面影に似たる白髪の老翁忽然として仲之助の枕辺近く立ち顕はれ、「霧島滞留は身に取て宜しからざることあれば早々<さう/\>郷里に帰るべしと勧めて止まず〔/〕

夢醒めて仲之助は別に心にも止<とゞめ>翌十六日の朝も例に依て其処<そこ>らの温泉に入浴<にふよく>を試み居る際<な>んとなく心地悪しく其上手足まで麻痺するが如く覚えしは此の湯の身体に相応せざるに因るか兎に角不思議の事もあればあるものと心に思案の折こそあれ端なく昨夜の夢に動<うごか>されて益々不思議に堪へず、「僅か夢の為<た>めに進退を決するとにはあらざるも最早<もはや>神詣での事も済み居ればイザ是<こ>れより帰麑<きげい>せん〔鹿児島に帰ろう〕と早々に旅の用意を整へて温泉場を立退きしは早や十六日の午前八九時頃なりしが<それ>より予定の道程<みちのり>を経て正午過ぎ西国分村〔現・鹿児島県霧島市〕浜の市〔浜之市〕に帰着せしや忽ち轟然たる響は天地を動かして行<ゆく>人も為めに歩<ほ>を止めん計<ばか>地震か但しは山の鳴動かと立ち騒ぐ間<ま>もあらせず不図<ふと>東の方<かた>霧島嶽を望めば団々たる黒煙は天を衝<つ>蒸々として立ち上<のぼ>る凄じき有様を見て仲之助は深く前夜の奇夢に感じ、「今の今まで霧島山に在りし此の身が今は安<や>す/\と此地に在るとは夢とは云へ全く亡親の加護に因りたるものにて此の危難を免かれたるも亦<ま>た全く此力に因れりとて痛く心に打ち慶びつゝ間もなく住宅に帰着して見れば家内にても大に同人の身の上を案じ態々<わざ/\>人を差立てたる跡にて其の帰宅を見るや家人は一方<ひとかた>ならず其の無事を祝賀したりと云ふ不思議な事もあるもの哉<かな>

読売新聞 明治28(1895)年10月24日・3面

猫の祟り(二児を斬る)【1898.1.9 読売】

滋賀県栗太郡葉山村の豪商の婿が夕食中、飼い猫の無作法に腹を立て、刀で斬殺。その夜、同じ刀で突然、息子2人を殺害した。男は過去に精神を病んだものの、結婚後の家庭は円満だった。

●猫の祟り(二児を斬る)

滋賀県栗太郡葉山村〔現・栗東市〕大字六地蔵の豪商柴林宗五郎の長女かしの養子同姓孝次郎なる者発狂の為<た>め自分の愛子二人<にん>を斬殺せし顛末を聞くに養子孝次郎(二十八年)は同県蒲生郡北比都佐村<きたひつさむら>〔現・日野町〕大字清田外池利右衛門の二男にして先年柴林家の養子となり隣家第十六番屋敷に分家し呉服を商ひ居りしが元来精神病者にして是迄数度発狂したることあるも入家入来<いらい>〔以来〕一家親睦に暮しつゝありしに其後<そのご>同人は甲賀郡水口<みなくち>〔現・甲賀市〕米穀取引所に赴き定期米に手を出し居りしに旧臘〔前年の12月〕廿七日に至り一家団欒夕飯を喫し居りし際孝次郎の側<そば>へ飼猫一疋出で来り突然飯櫃に足を掛けたるより孝次郎は非常に憤怒し猫を苧縄<おなは>にて縛置き夕飯<ゆふめし>を済したるが猫は悲鳴して止<やま>孝次郎は益々怒<いか>遂に其猫を刀(旧臘五日水口町に於て買求めしもの)にて斬殺<きりころ>下男下女に命じ裏手の垣根へ埋めさせ其夜<そのよ>十時頃に至りて家族一同寝室に入<い>孝次郎も寝に就きたる処何を思ひ出<いだ>しけん、突然起き上り灯火<あかり>を吹き消し手燭に火を点じ猫を斬りし刀を磨<と>がんとするの挙動あるを以て妻かしは起き上りて之を<これ>を制止せんとせしに孝次郎は忽ち抜刀せんとしたるよりかしはキヤツと叫びて隣家なる本家へ逃げ行きたり依て孝次郎は家内隈なく探して寝室に臥<ふ>し居りし長男孝一(四年次男悌二(二年)の二人を斬殺<ざんさつ>尚ほも荒れ廻り居る処を本家の下男等<ら>駈け来り多人数<たにんず>にて取押へ其筋へ急報せしにぞ警察署より警部出張し<たゞち>に孝次郎を引致して目下取調中なりと

読売新聞 明治31(1898)年1月9日・4面

不思議【1890.11.2 東京朝日】

東京・三田のある家では夜中に火鉢や鍋釜等が浮遊する。主人が化け物を斬ろうと用意した刃物も飛び回り、縁の下から聞こえる笛の音に合わせて戸障子が鳴り出す始末。弱った主人は警察に届け出、妖怪退治の祈祷も依頼した。

●不思議  いつぞや新吉原<よしはら>〔東京都台東区〕の引手茶屋何某方にても此の様の怪しみありて既に諸新聞紙上に其の怪を載せしが探究するに至り終に或者の板面<いたづら>と判り大いに新聞紙が担がれしことありしが今度の怪物は如何なる種にや〔/〕

古昔<むかし>鬼の腕を取た渡辺綱〔京都・一条戻橋で鬼の腕を切った話で有名な武将(953-1025)。一説に三田生れ〕が住みし芝三田四国町〔港区〕二番地宮地赳武<たけかづ>四十八)といふは長男総彦<ふさひこ>七ツ長女おしづ()の三人暮し去る九月上旬同所へ転宅し同月中は何<な>にも変りたる事なかりしが翌十月十日頃より夜<よ>に入<い>れば種々薩陲<さつた>なる不思議あり夜中<やちう>煙草盆煙管<きせる>火鉢などゆら/\と動き出して天井へつり上<あが>米櫃擂鉢<すりばち>鍋釜茶碗の類<るゐ>はさながら生<いけ>る物の如く躍り出し戸棚の上へ上るもあれば雪隠の中へ飛込むもあり時としては赳武等<ら>が寝所<ねどこ>の上より米灰など雨<ふら>すこともありて薄気味わるきこと限りなければ両人<ふたり>の幼年<こども>は夜に入れば恐ろしがりて父の側<そば>に添ふて放<はな>〔離れ〕赳武は余りの不思議に今夜何物か動き出しなば斬棄て呉<くれ>んものと枕頭<まくらべ>に鉈<なた>出刃庖丁など引寄せ置けば何時<いつ>か其の鉈や庖丁は飛出して家内<いへのうち>を打めぐり或ひは椽<えん>の下にて按摩の笛を面白く吹ならせば戸障子拍子を取りて鳴るなど実に百鬼夜行の有様なればいよ/\打棄置難しとて宮地より高輪警察署へ訴へ出で昨今は或祈祷者を招じて怪物退治の祈祷をなし居るよし

東京朝日新聞 明治23(1890)年11月2日・4面

寺ヶ谷の奇跡【1899.12.28 東京朝日】

滋賀県坂田郡・寺ヶ谷で大木が倒れるような音がすると、4-5日以内に村内に死者が出ると言われる。

寺ヶ谷の奇跡 滋賀県阪田〔坂田〕郡八条〔長浜市〕の山中に寺ヶ谷と称する平地あり<やゝ>もすれば大木の一時に倒るる如き響<ひゞき>を発することあり<しか>る時は晩<おそ>くも四五日中には村内に死者あり古往今来実に然りとは実にらしからず

東京朝日新聞 明治32(1899)年12月28日(木)3面(「歳律茲促」より)

幽霊の袖夜叉の腕【1890.7.28 大阪毎日】

下総国岡田郡飯沼村の弘経寺の宝物に夜叉の腕と累の幽霊の袖がある。夜叉の腕は、亡くなった老婆の棺をおおった黒雲を住職・祐天が打ち払うと、魔獣の腕が残っていたもの。幽霊の袖は、累の幽霊が祐天の枕もとに現れたときに残したものだという。

●幽霊の袖夜叉の腕  下総国岡田郡<ごほり>飯沼村〔現・茨城県常総市〕弘経寺と云へるは名僧良肇の開基に係り<かさね>物語の演劇<しばゐ>で名高き絹川〔鬼怒川〕堤の上に在り徳川時代には累の郷里<さと>なる埴生〔羽生〕村の隣邑<となりむら>にして有名なる天樹院夫人〔千姫(1597-1666)〕(徳川家康〔(1543-1616)〕の孫女<そんぢよ>にして豊臣秀頼〔(1593-1615)〕へ嫁ぎし人)の墳墓も茲<こゝ>に在り徳川時代には寺領若干<そくばく>を下<くだし>賜はられ近国に名高き巨刹<おほてら>なるが祐天〔(1637-1718)〕上人曽て此寺に住職たりしことありて当時の遺物甚だ多く<これ>を宝物<はうぶつ>として秘蔵し毎年<まいねん>暑中に一度土用干<ぼし>を為し衆庶の縦覧を許す事なるが中に就て不思議なるは夜叉の腕と累が振袖の袂なり、〔/〕

此夜叉の腕は其近郷上蛇村に一老悪婆ありしが其死するや罪業深きが故に夜叉の為<た>めに屍<しがい>を奪ひ去らるゝならんとて人々之を危ぶみければ其親族共祐天上人の道徳高きを聞き上人の許<もと>に行<ゆ>偏に救助を乞ひたりければ上人之を諾<うべ>なひ行いて引導を渡し<ま>さに葬らんとして野辺の送を為さんとするに及び今まで晴れ渡りし空が遽<には>かに掻き曇り見る/\黒雲<こくうん>舞ひ下りて死者の棺<くわん>を蔽はんとするや人々<あつ>と叫びて大地に倒れ伏したるに上人は夫<そ>れと見るより棺の上に法衣を振りかけ手に持てる珠数もて彼の黒雲を打払ひたるに名僧の功徳不思議や雲は空に舞ひ上<あが>りしが跡に打落<うちおと>されしは図面の如き何<な>んとも名の附難き魔獣の腕なりしかば人々伝へて夜叉の腕なりと唱へしとか、又絹川与右衛門の妻累の幽霊が一夜<あるよ>上人の枕元に見<あら>はれし時残したるものなりとか〔/〕

今年も土用干とて件<くだん>の品々を陳列したるを見るに如何様何の腕やら知らねども唯の獣のとは思はれず幽霊の袖、夜叉の腕コンな物が果して世に在る訳のものか兎に角お慰み迄に一寸<ちよつと>絵様<ゑやう>を――と彼地の知人より遙々の寄書

大阪毎日新聞 明治23(1890)年7月28日(月)2面

蛙石祟を為す【1892.5.22 読売】

信州・蓼科山中に蛙形の大石がある。前山村の若者がその石を村社に奉納すると、暴風雨で周辺に大きな被害が出た。近隣の村々は祟りのせいとして石を元の場所に戻すよう求めている。

蛙石<かはづいし>祟を為す  古来より信州〔長野県〕蓼科山中に一の平地ありこれを称して蛙平<かはづだひら>と云ふ蛙平に蛙形の大石<たいせき>あり其状奇にして面理頗<すこぶ>る美なり<むか>し其の地方の豪農これを持ち来りて庭前に据えしに其後<そのご>変事十数回ありしかば其の祟りなるを悟りて再<ふた>たび蛙平に戻し鄭重に其所<そのところ>に安置せり〔/〕

<しか>るに此頃同郡前山村〔南佐久郡前山村(現・佐久市)〕の内字小宮山の若者等<わかものら>右の石を持ち来ツて村社に奉納せんと計りしかば古老之<これ>を止<とゞ>むること切なれども壮年の輩<はい>は之を聴かず、「御幣は昔こそ担<かつ>文明の今日<こんにち>何の恐るゝことあらんと数<す>十名隊を為<な>して蓼科山<たてしなざん>に登り遂に蛙石を担ぎ来り村社に奉納せしは去月二十五日のことなりしに翌二十六日より激雨洪水暴風等起り全郡の被害頗る多く今尚ほ降雨止<や>まず<こ>れ其の祟りなりとて近村近郷の有志者は小宮山若輩<わかもの>の処置を憤ほり、「速かに蛙平に戻すべしと掛合ひ目下大紛紜中の由

読売新聞 明治25(1892)年5月22日(日)5面

妖怪天井【1892.5.29 読売】

石見・美濃郡益田町の順念寺の庫裡の天井に直径1尺ほどの穴がある。夜、その下で寝る人は皆、夢にうなされるので、「化物天井」と恐れられている。

妖怪<ばけもの>天井  是を井上〔円了(1858-1919)〕文学士にでも聞かせたならば積年蓄へたる脳漿を絞りて研究するならんと思はるゝ怪談は石見国美濃郡〔現・島根県益田市〕益田町に順念寺といへる真宗仏光寺派の寺院あり此寺の庫裏<くり>は随分古き建物なるが<いつ>の頃よりとも知れず奥の間の天井に直径一尺〔約30センチ〕<ばか>りもある朽ちたる穴ありて此穴は先代より遺言<ゆゐげん>にてもあるやらん<かつ>て修理したることなく今尚ほ存在せり常にはさして異状もなけれど夜間此穴の下にて寝に就くものあれば誰彼の差別なく如何に強気<がうき>なるものにても夢に魘<おそ>はれて大声を発せぬはなし或人は是れ神経の作用ならんとて試みしに<ま>た同一の不思議ありしと云ふ〔/〕

さて其の不思議とは如何なることかといふに未だ眠らざる中<うち>は何ともなけれどやがて眠<ねむり>に就くや否や漸々<しだい/\>に遥か高き所に引き上げらるゝ心地し遂に到達する所を知らざるに至る此時心胸将<ま>さに塞<ふさ>がらんとするを耐へ兼て苦悶の余り発声するなりと故に近所の人皆怖ぢ恐れて之<これ>を妖怪天井と称<たゝ>へ居<を>るといふ

読売新聞 明治25(1892)年5月29日(日)3面

三洲の書に霊験あり【1892.12.11 読売】

飛騨・吉城郡船津町の旧家に長三洲の書を掛軸にしたものがある。狐狸や人の生霊に憑かれた人が枕元にこの軸を掛けて寝ると、すぐに治るといわれる。

三洲の書に霊験あり  飛州吉城郡<よしきごほり>船津町<ふなつまち>〔現・岐阜県飛騨市〕菱川増太郎所蔵の長三洲〔漢学者(1833-95)〕の軸は狐狸の人に憑きたる時又は該地の方言「ゴンボ〔ごぼう〕の種」即ち人の生霊<いきれう>が移りたりといふ時等すべて神経的難病に罹りたるものゝ枕頭<まくらべ>に懸くるときは其の病ひ立ちどころに癒ゆること実に神<しん>の如くなりといひ此の程も同地田中宇吉方親戚に該病を発したるもの有りしかば早速<くだん>の軸を借受けて形<かた>の如くなせしに果せるかな日を遷<うつ>さずして左<さ>しもの難病も拭ふが如く去りたるにぞ人々いよ/\其の霊能に感じ口々に名家<めいか>の筆に威徳備はれりといひ居<を>るよしかゝる妄信田舎にては珍しからねど三洲の書に霊験ありとはこれが始めて〔初めて〕なるべし

読売新聞 明治25(1892)年12月11日(日)3面

他郷の人と婚姻の出来ぬ地方【1892.12.18 読売】

備中・小田郡神島内村の骨皮道通宮に詣でて人を呪えば、その人は必ず病気になるといわれる。万一、道通宮に祈られては困るからと他郷ではその地域の人との婚姻を断る者が多い。

他郷の人と婚姻の出来ぬ地方  備中国小田郡神島内<かうのしまうち>〔現・岡山県笠岡市〕大字横島に鎮坐せる骨皮道通宮<だうつうぐう>と云ふは神威顕著<いやちこ>なる荒神を以て称せられ人に怨みを抱くもの茲所<ここ>に詣で頭髪を修めず爪をきらず以て朝な夕な一心不乱に祈念したる末社傍の樹幹に釘を打込めば其の咀<のろ>はれたる者必ず病に罹り重きは死に至ると言ひ伝へて無念を晴らさんとする者引きも切<きら>〔/〕

<かつ>其の氏子へは特別の加護ありとのことゆゑ<も>し婚嫁の事を他郡村の者に勧むるも他郷の者は頭部<あたま>を横に振り、「横島の人と婚姻するは可なるも万一<まんいつ>破縁の時になり道通宮に祈られては困るとて此を謝絶する者多く其の甚だしきに至りては下婢下男を雇ひ入るゝにも之<これ>を忌む者ありて横島には数多き出稼ぎ人あるも此を抱へる者なしと云ふ

読売新聞 明治25(1892)年12月18日(日)3面